『高瀬舟』や『舞姫』などの作品で知られる明治から大正にかけて活躍した文豪・森鴎外。
もともと陸軍軍医として勤めていたことがあり、ドイツ留学を通じて衛生学などを修めていた。この経験で細菌などの知識を十二分に蓄えた鴎外は、食べ物を生で食するのを嫌がるようになり、果物であろうと日を通したり煮たりしてから食すほどに極度の潔癖症になってしまった。
さぞ入浴にも気を遣ったであろうと思われるが、意外にも鴎外は風呂が嫌いであった。これは、風呂場には細菌が多く存在しているということから避けていており、風呂に入る代わりに水を入れた盥を使って前身の肌を手拭(てぬぐい)で拭くことを朝夕の2回行なうというルーティーンとしていたようだ。
その際には、西洋剃刀で顔を剃ることもしていたそうだが、一滴の水も垂らすことなく器用に剃っていたため、「まるで茶の湯のようだ」とまで言われていた。しかも、手拭は一枚だけであるため、それで顔も股も構わず拭いており、「俺の体に汚いところはない!」とまで豪語していたという。
ただ、ほとんど入浴をしないという日課のため、戦地に赴いた際は全く困らなかったとのこと。
鴎外がドイツ留学によって影響を受けたのは、衛生思想だけではない。留学によって西洋感覚を有するようになったためか、鴎外は自身の子や孫に西洋の人名をもじった名前ばかり付けていた。

まず、彼の長男は於菟(オット otto)、長女は茉莉(マリ Marie)、次男は不律(フリツ Fritz)、次女は杏奴(アンヌ Anne)、三男は類(ルイ Louis)とこんな調子だ。
さらに、長男・於菟の孫には真章(マクス Max)とまで名付けており、これは留学時代の恩師でもある細菌学者のマックス・フォン・ペッテンコーファーに由来、その後も次男から四男まで富(トム Tom)、礼於(レオ Leo)樊須(ハンス Hans)という具合だ。
鴎外は、日本の元号の由来と考えられる漢籍の一文を徹底して抜き出すという『元号考』を発表していたほどに漢籍に精通していたこともあり、単なる当て字ではなく漢字の意味から拘って選び抜いていたという。なお、於菟は五男が生まれた際には父・鴎外からの名づけをめんどくさがり常治(ジョウジ George)と名付けたという。
では、そんな彼の医者としての能力がどれほどのものであったかというと、こんにちではかなり酷評されている。最もよく知られたものとしては、通称「脚気(かっけ)論争」と言われるものがある。
現在ではほとんど鳴りを潜めたものの、脚気は明治期の日本の軍隊において大きな問題となっていた。ビタミンB1の不足によって、心不全と抹消神経障害をきたす疾患として知られ、白米信仰や、軍隊におけるお粗末な食によって脚気は深刻なものとなっていた。
現在では、すでにこの「栄養失調症」説が定説となっているのだが、当時はこれと別に脚気が「感染症」によるものだという論調がぶつかっていた。この伝染病説を唱えていたのが他ならぬ鴎外だった。
彼は、軍医として最高位の軍医総監にまで登り詰めたほどに権威を有することになったが、彼の判断によって陸軍では脚気による大量の死者が出てしまったという。
この鴎外の”ミス”は、留学先で学んだ細菌学に固執し、偏向したプライドによる結果だったと考えられている。文学的には高い才能を持っていた鴎外も、医者としてはその能力が適正だったとは言えないようだ。
こぼれ話だが、鴎外の師であるペッテンコーファーは、コレラ菌の存在を否定するためにその培養液を飲んだというエピソードがある。結果として彼は一命を取り留めたが、自身の主張に固執した結果のしくじりを、師匠と弟子がともにやらかしてしまったというのも因縁というものだろうか・・・
【参考記事・文献】
・森於菟『父親としての森鴎外』
・https://sirabee.com/2015/02/14/17993/
・https://lab.p-press.jp/report/report09.html
・https://diamond.jp/articles/-/282093
・https://iirei.hatenablog.com/entry/20160216/1455617796
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