【山口敏太郎の覆る日本史】天才浮世絵師・東洲斎写楽は阿波藩お抱え絵師!





 2006年7月から8月にかけて奇妙な事件が起こっていた。JRの駅に設置されている券売機のモニター部分に、謎の落書きが彫られる事件が頻発した。この被害を受けた駅は、埼玉、東京、群馬、神奈川という広範囲に及んでおり、計29駅、350台に「しゃらく」という文字が刻まれていた。

 犯人が金属の棒の先端で刻んだと推測されているが、大宮署は2006年10月13日までに、さいたま市見沼区の20歳の男を逮捕した。被害総額は、なんと約1億円に上るという。この「しゃらく」という名前はあの謎の絵師・東洲斎写楽からとられたものである。

 さて、この写楽という男だが、登場から200年以上経った今でも多くの人を魅了してならない。

 2008年7月にはギリシャのコレフ島にて、扇子に描かれた写楽の肉筆画が発見されている。描き方の癖や題材の選び方からして本人による肉筆画だと判明した。

 では何故、この写楽という絵師に謎が多いのか。

 それは寛政6年(1794)年5月に現れてから、僅か10ケ月で140点という膨大な作品を残したまま忽然として出版界から姿を消した点にある。無論、本名や出身地も明らかにしていない。役者の顔をデフォルメすることから評判も悪く、活動後期には絵柄も変わることから売れ行きが芳しくなかったことが伺える。

 その正体に関しては、今まで多くの研究家や作家が仮説を唱えてきた。葛飾北斎説、喜多川歌麿説、写楽のライバルであった歌川豊国説、円山応挙説、谷文晁説、なんと作家の十返舎一九説や、版元であった蔦谷重三郎説さえある。役者を生々しく描いたことから、歌舞伎役者の中村此蔵説や歌舞妓堂艶鏡説など芸能関係者が正体とされた時期もあった。




 だが、結論は早々に出ていた。考証家・斎藤月岑が天保15年(1844年)に著した『増補浮世絵類考』に、「写楽斎」とは「俗称斎藤十郎兵衛八丁堀に住す。阿州侯の能役者也」という記述がある。月琴は『江戸名所図会』など今でいうところの旅行ガイドブックの編著者であり、リアルな記述で知られた人物である。ましてや写楽の活動時期から50年後に発売された出版物である。

 その後もしばらくは写楽が生きていたとしたら、月琴は写楽を直接知る人物から取材ができたはずである。だとしたら、これほど信頼できる記述はあるまい。これでほぼ決まりではないか、何故他の絵師を当てはめる必要があるのかと徳島出身の筆者は憤慨しながら、そう思っていた。

 だが世の中には、ひねくれ者がいるもので「斎藤十郎兵衛」が実在した証拠はない、と言い出す人も出る始末で膠着状態が平成に入っても続いていた。

 その後、「写楽の会」の調査により、埼玉県越谷市の浄土真宗本願寺派今日山法光寺が写楽の菩提寺として確認された。同寺の過去帳には「文政3年(1820年)3月7日に、八丁堀地蔵橋阿州殿御内 斎藤十良(郎)兵衛 58歳で死去」と記述されている。

 これで阿波藩に仕える斎藤十郎兵衛の実在が確認され、写楽の正体がほぼ確定したのだ。

(山口敏太郎 ミステリニュースステーションアトラス編集部)

東洲斎写楽





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