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「とんねるず」伝説 木梨憲武追悼演出の元ネタは吉田拓郎のラジオ?!

とんねるずは、1980年に結成された石橋貴明と木梨憲武の2人からなるお笑いコンビ・歌手である。

2人は帝京高校時代、野球部とサッカー部でそれぞれ一番面白いと評判であった。この頃から、『TVジョッキー』や『銀座NOW!』といった素人が参加できる番組に多数出演しており、「名物素人」として注目されていた。

高校卒業後は石橋がホテルマン、木梨が自動車会社の営業マンとして就職したが、『お笑いスター誕生!!』に「貴明&憲武」名義で出場、5週連続の勝ち抜きを果たすに至った。

この時番組では、まだ芸歴が4年目にも関わらず審査員を務めていたタモリがいた。他の審査員が酷評する中で、タモリだけが彼らを「面白い」と評価、そうした経緯もあってとうとう両者は正式にお笑い芸人としての道を歩むこととなった。

彼らの芸風は、アイドルをイジる、大御所に容赦しないツッコみ、芸人らしからぬファッショナブルな服装、段取りを無視して勢いに任せた言動など、”暴れる”という表現が実にしっくりくるものである。特に、「芸人はアイドルの前座」といったイメージが主流であった当時にアイドルを茶化すといった行ないは、ある種の反発意識もあったのかもしれない。

これらの芸風から、男子女子問わず中高生からカリスマ的な人気を誇ることとなり、こんにちでは「関東お笑い芸人のドン」的存在という見方もなされている。因みに、「彼氏・彼女いない歴~年」、語尾の「~みたいな」、「~系」といった言葉は、彼らとんねるずによって広まった言葉と言われている。

この芸風から様々な逸話や伝説に溢れるとんねるずであるが、忘れてはならないエピソードの一つとして「カメラ破壊事件」があげられるだろう。

1985年1月19日、生放送番組『オールナイトフジ』にて、とんねるずは歌手デビュー曲である「一気!」を番組内で歌うこととなった。だが、その際石橋がテレビカメラに近付いていき、それを掴んで揺らし始め、それによってテレビカメラが転倒してしまった。

スタッフが立て直したもののカメラはレンズが壊れてしまっており、2人は顔面蒼白、木梨も「俺知らねえよ」とつぶやくしかなかった。

このことについて、石橋は2014年に『ごきげんよう』へコンビで出演した際、「あれは、壊したんじゃなくて倒れちゃったんです」とあくまで「事故」であることを強調。加えて、この出来事以来どこの撮影でもカメラに近付こうとするとカメラが避けるようになってしまったというエピソードも加えた。

石橋も自腹での弁償を覚悟していたようであるが、実のところ転倒したテレビカメラは保険に入っていたため大丈夫ではあった。当時ディレクターであったフジテレビ現社長の港浩一は、「石橋貴明が悪ノリでカメラのレンズが壊れてしまったことをお詫び」する旨の始末書を書いたという。

さて、とんねるずのもう一つの伝説として、次のものもあげられるだろう。

1991年10月31日、とんねるずの番組『とんねるずのみなさんのおかげです』(「~おかげでした」の前身番組)にて、なんと「緊急放送!盲腸で倒れる 木梨憲武さんを偲んで…」といった文面が出され、石橋と当時フジテレビアナウンサーであった野崎昌一が中央に立ち、その背後には巨大な木梨の遺影写真と追悼の花々のセットが組まれていた。

この当時、木梨は盲腸の手術で活動を控えていたことが知られていたが、この放送には視聴者の誰もが衝撃を受けた。

ところが、実はこれは全ていわゆるジョークであり、石橋と野崎アナが神妙な面持ちで木梨のことを語っているその背後から、ピンピンとした木梨が登場し、スルーをする両者のコメントにツッコむという形で、最終的には手術の成功を祝う形で追悼”コント”は終了した。

やはりというべきか、この放送についてはクレームが殺到したとのこと。

このコメントでは、巧妙に木梨が”死亡した”というような表現が避けられており野崎アナも「盲腸のために信じられないことになってしまいました」「なにしろ突然のことでした」という発言に留まっていた。

とは言うものの、対照的に一方の石橋は「ハゲる前に死ねてよかったな」「安らかに眠ってほしいですね」と言っていた。

なお、ネットで画像検索をすると、石橋と野崎アナ、その背後に木梨の遺影が写る画像の左上に「木梨憲武死亡」というテロップが乗っているものがあるが、実際の放送ではそのようなテロップは掲載されていないため、コラージュである可能性が高い。

因みに、この企画には元となったものがあると言われている。

1981年3月13日に放送された『吉田拓郎のオールナイトニッポン』にて、この回を病休した吉田の代役として塚越孝アナが出演。この回は、ラッツ&スターをゲストに、「特別番組吉田拓郎さんをしのんで」をテーマとして、決して「亡くなった」とは言わないもののいかにも追悼の雰囲気を全面的に醸すという途轍もない演出がなされた。

このようにラジオで行なわれたことを、10年の年月を経てテレビで行なった。これだけでもとんねるずはやはり特異だったと言えるだろう。

【参考記事・文献】
https://www.oricon.co.jp/news/2253952/full/
https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B%E3%81%9A
https://x.gd/kd17Z
https://bunshun.jp/articles/-/65388
https://newsmatomedia.com/kinashi-noritake
https://kyun2-girls.com/archives/1375
https://ameblo.jp/toumatoshihito/entry-11110526469.html

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【文 黒蠍けいすけ】

画像『ゴールデン☆ベスト とんねるず~THE WORLD OF TUNNELS EARLY BEST OF TUNNELS(SHM-CD)