前略おふくろ様は、1975年から1977年まで、第1シリーズ(75年10月~76年4月)、第2シリーズ(76年10月~77年4月)と放送されていた倉本聰原作のテレビドラマ。照れ屋の青年板前・片島三郎を中心に、周囲の人々との触れ合いを描いた青春ドラマであり、主人公である三郎は萩原健一が務めた。
本作の大きな特色は、出演者のイメージチェンジを大幅に成し遂げたということだろう。主演である萩原健一は、それまでどちらかというと『傷だらけの天使』などのアンチヒーローなどアウトロー的な役を演じることが多かったが、本作では純朴な板前青年という役柄であり、役作りのために長髪をバッサリと切ったほどであった。
そして、もう一人イメージの大変革を遂げた人物として上げられるのは、舞台である料亭「分田上」の花板(料理長)・村井秀次を演じる梅宮辰夫であった。
梅宮も、それまではワルやプレイボーイ役を多く担当していた俳優であったが、本作では、元ヤクザという設定はあるものの、男気の溢れる渋い板前を見事に演じた。実は、この役は当初、小林旭がキャスティングされていたそうであるが、「なんで俺がショーケン(萩原)の脇なんだ」と言って断ってしまったため、梅宮に白羽の矢が立ったと言われている。
この渋い板前役としての梅宮は大当たりをしたが、それ以上の効果ももたらした。梅宮は、のちに漬物店をプロデュースしたり、レシピ本を出版したりするほどの料理好き、料理上手として知られるが、彼が料理を本格的に始めるようになったきっかけが、実は本作の料理長役を演じたことにあると言われている。
さて、本作はある衝撃的な逸話が語られている。それは、主人公三郎の母親・片島益代を演じた田中絹代にまつわるものだ。
田中絹代と言えば、日本映画史を代表する大女優の一人として知られており、『楢山節考』(1958)にて姥捨てされる老婆を演じるために、自身の前歯を抜いたことでも有名だ(その前年に公開された映画『異母兄弟』に出演した三國連太郎も老人を演じるために前歯を全て抜いており、田中はこの影響を受けたとも考えられている)。
本作にて田中は、レギュラー出演ということではなく「特別出演」という形での出演となっている。タイトルにある「おふくろ様」、ずばりその人である。
1977年3月25日、第2シリーズの第23回(次の第24回が最終回)が放送された。この回では、三郎の母である益代の葬式のシーンがあるのだが、実はその直前となる3月21日に、その益代役であった田中が脳腫瘍の悪化に伴い死去していた。
このシンクロにも思えるリンクは、視聴者に強い印象を残したであろうことは想像に難くない。
同年1月に倒れ、視力も悪化させていたという田中は、「目が見えなくてもできる役はある?」と最後まで役者として生き抜こうとしていたという。
【参考記事・文献】
・https://www.dailyshincho.jp/article/2019/03310731/?all=1
・https://ameblo.jp/inmylifejappy/entry-12730753787.html
・https://ameblo.jp/inmylifejappy/entry-12737633071.html
・https://ameblo.jp/inmylifejappy/entry-12737862459.html
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【文 黒蠍けいすけ】