今回は猫の話を聞いて下さい。
我が家に11年間暮らした黒猫(パトと言う名前です)が1月末に交通事故に遭い、向こう側の世界に逝ってしまいました。
敏太郎さんが「虹の橋」のお話しを聞かせてくれたのは、パトが亡くなる前のコトだったと思います。あのお話しはとても救いになりました。心の支えとなりました。ありがとうございました。
11年前、野良猫母さん(黒猫)が我が家の濡れ縁の下で子猫を3匹産みました。黒猫2匹に茶トラ猫②匹。野良猫はお産するとその後、数回ねぐらを変えます。外敵から子猫を守るためなのか何か別な理由があるのか?その時もお産から数日後に母さんは、子猫の首根を咥えて移動を始めたのですが何故だか黒猫を一匹残して行ったのです。
時間差で運ぶのかと待ちましたが、いくら経っても母さんは、黒猫子猫を迎えには戻りませんでした。
しびれを切らしたのは娘と息子の方が先でした。夜には黒猫子猫を連れて来て、家に入れておりました。子猫は「パト」と言う名前をもらい、我が家の新しい家族になったのです。
パトは元気に順調に成長し、大きくなってゆきました。
もちろん家猫として育てるつもりだったのですが 、窓から見える外の世界に憧れを持ってしまったパトの、歯止めの利かぬワルさによる要求行動が始まりました。
中でも一番困ったのはオシッコです。家中の至るところにオシッコをかけまくりました。
消臭剤などは全く役には立ちません。それでも1ヶ月以上、オシッコと消臭剤の臭いに耐えて僕たちも生活したのです。
しかし、ついに限界が来ました。
パトは外に出れるコトになりました。(パトを外に出すコトになりました)
開けた窓からパトは元気に飛び出して、しばらくは庭や家の周りを走り回っていましたが、やがて裏山へと続く雑木林へと走り去って行ったのでした。
出したは良いが、帰って来るかどうかまで考えていませんでした。
朝に出て行きました。数時間経って昼になりましたが帰って来ません。15時のオヤツの時刻になりましたが戻りません。夕方になっても姿を現しませんでした。
やがて日は暮れ辺りは闇に包まれました。
大口径の懐中電灯を持ち裏山に行って名前を呼んではみましたが返事は無いし、闇夜の黒猫ほど見つけ難い生き物もいないでしょう。
19時、
21時、
23時、、夜は深くなってゆきます。
家族はもちろん僕以上に心配していましたが、子どもたちは次の日学校です。眠らねばなりません。
時刻は24時を過ぎて日付がかわりました。僕は自分の部屋の窓を猫の幅(?)だけ開け、パトの帰りを待ちました。
午前2時を過ぎた頃だったと思います。外の気配と音に耳を立て、意識を集中して半ば催眠状態にあった僕は、微かな声にハッと我に返りました。
人の声がします。
僕は耳を凝らします。
「ボクダヨ」
何度も繰り返してします。
「ボクダヨ」
小さな男の子の声らしいのです。
「ボクダヨ、ボク、ボクダヨ」
間違いなく子どもの声が僕を呼んでいるのです。
僕は立ち上がり猫幅に開いた窓から外を見ました。
窓から漏れた部屋の明かり溜まりには、前足をキチンと揃えてエジプトのバステト神のように姿勢を正して据わる、
黒猫のパトが居ました。
「もう一回呼んでみな?」
僕はパトに話しかけました。
パトは猫語で「ニャア」とだけ答えました。
(微笑or苦笑?)
動物動画などによくある、ヒトの言葉のように聞こえる鳴き声ではありませんでした。聞き間違えるコトなくハッキリとした人間語でパトは僕を呼んでいたのです。
作家の村上春樹氏もエッセイの中で猫は人間の言葉を話すと書いているし、ある有名な人形作家さん(たくさんの猫たちと暮らし擬人化された猫の人形を作っている)に、この話しを聞いていただいたら、、
「ついに聞いてしまったのですね」と真顔で言われました。(「ついに」と言う表現がちょっと怖かったですが、笑)
我が家で暮らした11年間、黒猫のパトがハッキリとした声と口調で人間の言葉を話したのは、後にも先にもあの時だけのコトでした。
動物たちは不思議ですね。
動物たちから見たら人間はもっと不思議な生き物なのでしょうが。
教室で生まれた野良猫たちの不思議な話もたくさんあります。またいつか話させて下さい。
(アトラスラジオ・リスナー投稿 ゴンベッサさん ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
René SchindlerによるPixabayからの画像