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対馬・壱岐で暴虐の限りを尽くした海賊の襲来事件「刀伊の入寇」

刀伊の入寇(といのにゅうこう)とは、1019年に発生した外敵侵攻事件である。

平安時代、摂関政治の全盛期に発生した出来事であり、古代日本における最大級の外敵による侵攻として知られる。刀伊とは、朝鮮半島において蛮族を表す「東夷」(とい)のことで、日本式に漢字をあてた表記となっている。

907年、大陸において巨大勢力を築き上げた唐が滅亡したことによって、周辺に様々な中小の勢力が興ることになった。この中で、新たに宋が勢力を強めたほか、朝鮮半島では高麗、満州では契丹族、そして外満州では女真族が強力な勢力として登場することになった。

926年、契丹族によって女真族の重要な交易ルートであった渤海が滅ぼされてしまったことにより、生活困窮に追い込まれた女真族が高麗沿岸部で海賊行動を起こすようになった。このことから、刀伊という言葉は通常的に女真族を指す言葉としても用いられた。

朝鮮半島では、こうして海賊・侵略行為が繰り返し発生するようになっていく中で、日本も同様に幾度となく被害を受けることとなった。

「新羅の入寇」「貞観の入寇」「寛平の韓寇」など、九州においてはたびたび侵攻・海賊行為がなされたにもかかわらず、日本ではこのことに対応するような具体的な素振りは見られなかった。それは、当時遣唐使が廃止されると共に海外の交流も途絶えてしまったことで、海賊・侵略行為の勢力元がどこであるかといった実態把握が困難であったという事情も理由としてあったようである。

1019年4月、50余隻の船に乗った武装集団が対馬と壱岐に突如として上陸。老人子供は斬り殺され、労働力となる成人の男や女は拉致され、さらに家々が焼き払われて牛馬や犬も殺され食べられるという恐怖の襲来となった。この襲撃によって、対馬と壱岐の冬眠およそ400人が犠牲となり、千数百人が拉致、ある記録によれば、壱岐での生存者はわずか35名であったという。

対馬と壱岐で暴虐を尽くした刀伊は、いよいよ九州本土への上陸を目指して博多湾への侵入を開始した。その時、この刀伊に対して徹底抗戦を挑んだのが藤原隆家であった。

藤原道長の兄である藤原道隆の四男として生を受けた隆家は、17歳で中納言の地位を得た一方で、豪腕で不良のような性格の持ち主でもあったという。

996年、花山法皇に矢を射かけるという「長徳の変」を起こした罪で出雲に左遷され、翌年には京都に復帰し政務を行なうこととなった。1012年、眼病を患った彼は、名医がいると耳にした九州へ赴くことになったが、まさに彼がこの九州へ滞在している間に刀伊の入寇は発生したのである。

この頃、九州を治める役職である大宰権帥となっていた彼は、朝廷の指示を待たずに独断で襲撃に対応、九州の武士団や海賊を招集し、刀伊襲来への徹底抗戦に挑んだ。

日本側には、当時70歳を超えていたという老将の大蔵種材(おおくらのたねき)も参戦、隆家も指揮だけでなく自ら戦闘へ参加するといった鬼気迫る大防戦の末に、見事刀伊の撃退を果たした。その後、刀伊は帰路にて高麗の水軍によって壊滅されることとなり、連行された日本人捕虜数百人も救出されて帰還を果たすこととなった。

だが、国際意識が著しく低下していた政府の対応は非常に冷淡なものであった。この事件に高麗は無関係であったことを知っても、何か裏があるのではないかと考えて、捕虜となった日本人の帰還に対し何の返礼もしなかった。また、隆家の対応についても、当初は政府の指示もなく独断で動いたということもあって「勲功を与える必要はない」という意見が多数あったという。

結局は、「それでは誰も戦う意欲を失くしてしまう」という意見から隆家に勲功が与えられることとなり、さらに政府からの返礼が無かったことに関しては、隆家が直接高麗の使者へわずかながらの礼を返したという。

この出来事は、危機意識があまりにも欠落し、さらには地方での残虐な外敵による事件において軽視をしていたという平安貴族の実情を知り得るものにもなっている。

藤原隆家がその時九州へ滞在していなければ、被害はより甚大なものとなっていたであろうことは間違いないだろう。因みに、この刀伊の入寇では、対馬の長嶺諸近(ながみねのもろちか)という人物が、刀伊の船を抜け出し、(結果として皆殺しされてしまっていたものの)家族を救出するために高麗へ密航するといった家族愛のエピソードもある。

【参考記事・文献】
https://senjp.com/takaie-fu/
https://love-japanese-history.com/ikusa%ef%bd%b0toinonyuukou/
https://www.y-history.net/appendix/wh0303-005_2.html
https://www.yoritomo-japan.com/etc/murasaki-sikibu/others/toi-nyuko.html
https://manareki.com/toi_nyuko

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【文 ナオキ・コムロ】

画像 ウィキペディアより引用