柳葉敏郎は、俳優や歌手、タレントとして現役で活動している人物である。80年代に人気を博したパフォーマンスユニット『一世風靡セピア』の元メンバーであり、80年代後半からは多くのトレンディドラマにも出演、中でも『踊る大捜査線』シリーズの登場人物・室井慎次役は、のちに派生映画の主演を飾るほどの当たり役となった。
若かりし頃の彼のエピソードといえば、何よりも喧嘩が多かったことが挙げられるだろう。同じく一世風靡セピアのメンバーであった哀川翔との喧嘩は有名であり、哀川の飲み物にタバコの吸い殻を入れるなど、しょっちゅう喧嘩をふっかけていたという。
彼はさまざまな相手にちょっかいを出し、喧嘩を売っていたことでも知られている。俳優の木村一八に対して彼の耳に水割りをかけたり、羽賀研二が乗っていた高級自動車をボコボコにしたり、果てはプロレスラーにも喧嘩を吹っかけたことがあったという。
あるライブの前に、的屋が勝手にグッズ販売をしているところを目撃し、喧嘩をふっかけてグッズを勝手に持ち去ったという逸話もあるほか、ヤクザにも何やらちょっかいを出したのか、楽屋にヤクザが押しかけてきたこともあり、さすがに彼も窓から逃げ出したということもあったとそうだ。
柳葉敏郎が個人としてブレイクするきっかけになったのは、バラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』であったと言われている。ただし、当時の彼は「欽ドン」に対して「本当はやりたくなかった」と後年に明かしている。
実際のところ、彼は知人の勧めで「欽ドン」の出演者オーディションを受けたが、何のオーディションなのかは知らされておらず、それがお笑いだと知った時は強い抵抗を感じていたとのこと。落ちても良いという感覚でかなりいい加減にオーディションを受けていたということだが、結果として彼は当番組で良川先生というレギュラーメンバーとなり、その出演を通じて一躍人気者となった。
彼が合格となった理由については、次のようなエピソードが語られていた。
萩本欽一により、そのオーディションの面接の1時間後に電話をかけて、最初に繋がった人を合格にしようというとの提案がもたらされた。理由は、帰って既に家にいる人は、お金も付き合っている人もいない人物であり、そういう人は真面目にこなしてくれるに違いないという考えからであったそうだ。
結果として、柳葉は当時付き合っていた人はいたものの、たまたま家にいたため電話を受け取り、見事オーディション合格となった。
長らく語られていた逸話であるが、実はのちに真相が異なっていることが判明した。当時の萩本は、オーディション後に参加者の呼び戻しをすることが多々あり、それを見越してスタッフがあらかじめオーディションの参加者のうち柳葉を含む5名ほどをスタジオに待機させていた。
ところが、萩本から前述の電話をかける提案が突如なされ、スタッフは待機していた5名の中から柳葉を選び、これによって「電話をかけて最初に出たのが柳葉だった」ということに仕立てたという。
このことは、スタッフと柳葉の間で長らく秘密とされていたようだが、萩本はこの時のことに長年違和感を抱いており、30年ほど経ってから当時のディレクターに聞いたところ、ついに打ち明けられて真相を知ったという。この驚きの真実は、『週刊アサヒ芸能』(2014年2月6日号)にて萩本の連載エッセイの中で語られた。
都市伝説とまで言われた「電話での合格」は、真実が少々異なってはいたが、それでも選ばれるほどの強運を彼が持っていたことには変わりない。彼はかつて『スター誕生』で落選した過去もあり、見事それを挽回したと言っても良いだろう。
【参考記事・文献】
【画像】柳葉敏郎 若い頃の伝説エピソード10選!デビューのきっかけは萩本欽一だった?
https://jasumin5.com/toshiroyanagiba-whenlwasyoung
柳葉敏郎 ブレークきっかけの欽ドンは「やりたくなかった」
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/04/27/kiji/K20140427008054450.html#goog_rewarded
柳葉敏郎の現在(2024)!また、若い頃の伝説も次々と明らかに!!
https://anohito-genzai.com/yanagiba-toshiro-imagenzai
【アトラスニュース関連記事】
「一世風靡セピア」血気盛んなメンバーの起こした喧嘩伝説の数々
新幹線の迷惑客を黙らせた!!かぐや姫リーダー「南こうせつ」の喧嘩伝説
【文 ナオキ・コムロ】