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「一世風靡セピア」血気盛んなメンバーの起こした喧嘩伝説の数々

一世風靡セピアは、1980年代に活躍した音楽ユニットである。男性路上パフォーマンス集団「劇男一世風靡」から派生したユニットであり、小木茂光をリーダーとして哀川翔、柳葉敏郎など計7名のメンバーで構成されていた(うち1名が中途退団)。

俳優の中野英雄やタレントの勝俣州和もメンバーであると思われがちだが、彼らは哀川翔の付き人であり正確にはメンバーという訳ではない。

7名のメンバーについては、劇男一世風靡の中で「歌をやりたいヤツは手を挙げろ」という上の立場にいる人間の声掛けによって挙手をした7名がそのまま選ばれ結成されたという。『前略、道の上より』『汚れつちまった悲しみに』(魁!男塾の主題歌)などのヒット曲を生み出し、また「一世を風靡する」という語が「一世風靡」と四字熟語化して使用されるようになるなど、社会的にも多大な影響をもたらした。

ノーネクタイにズートスーツをトレードマークとし、路上パフォーマンスの経験からコントなども手掛けたという彼らであるが、いわゆるヤンチャなメンバーが揃っているということもあり、特別待遇を要求したり、トラブルを起こしたりすることも多かったという。

その中には、紅白歌合戦に出演する際は「渋谷のNHK前からの中継にしろ」と要求、拒否されたという逸話もある。




また、血気盛んなメンバーであったこともあり、メンバー同士の喧嘩も絶えなかったという。特に哀川翔と柳葉敏郎は、それぞれが個別で伝説を持つほどエピソードに飛んでいるが、両者が対峙していることも珍しくは無かったそうだ。

しかし、意外にも両者が行なう喧嘩は殴り合いではなく”かけっこ”だったと言われている。ある時、一世風靡セピアのメンバーが横一列に並び一斉に走り抜けるというシーンの撮影において、負けず嫌いなメンバーが多いこともあって撮影でありながら一番速い人物を追いかけるような雰囲気になっていき、最後には最も速い柳葉を哀川が追うという二人対決のような形になっていたそうだ。

一方で、たびたび喧嘩する仲とはいえ、普段の関係は非常に良好であったようである。ある時、メンバーの結婚式が行なわれ、そこにはプロレスラーも多く招待されていたという。

その際、酒に酔った柳葉が三沢光晴と天龍源一郎の無礼な振る舞いに激怒し、哀川に対して「俺は三沢に行くから天龍は任せた」と協力を呼び掛けたこともあるという。ただし、この時は流石の哀川も「いけるわけないだろ」と断り、実際に三沢へ詰め寄って一触即発となった柳葉に割って入って大事には至らなかったそうだ。

1989年に解散をして以後、それぞれが歌手や俳優など各々が望む活動へ散っていった伝説のユニット一世風靡セピアであるが、現在でも色褪せることのないインパクトを残し続けている。

【参考記事・文献】
いっせいふうび「一世風靡」の語源・由来
https://etymology-encyclopedia.com/isseifuubi/
一世風靡セピアのメンバーとは?路上パフォーマンスから始まった伝説のユニットの素顔
https://1pack.blog/members-of-the-world-famous-sepia?currentScrollY=0&visited=true
一世風靡セピア最強ケンカ伝説!哀川翔・小木茂光が大暴れ!?
http://wildones105.com/blog/4699/
哀川翔 天龍、三沢さんと一触即発危機
https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/04/12/0007911571.shtml
哀川翔と柳葉敏郎の仲や関係は?喧嘩エピソードも紹介
https://arty-matome.com/I0002247
伝説のイケメンパフォーマンス集団 一世風靡SEPIA(セピア)
https://ablackleaf.com/archives/18301982.html

【文 ZENMAI】

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