豊登(とよのぼり)は、力士出身のプロレスラーとして活躍した人物である。1954年に力道山率いる日本プロレスへ入団し、力道山とタッグパートナーを組み、第3代アジアタッグ王者にもなった。リングネームである豊登は立浪部屋時代の四股名がそのまま使用されたものとなっている。
彼と力道山は互いに力士出身であり、所属部屋は違えども先輩後輩の仲であった。力道山の転向後、彼は同僚から力道山ジムに誘われたことがきっかけとなりプロレス転向を考えるようになる。これは、当時の親方との不仲も大きな要因になったそうだ。
力道山が日本プロレスを旗揚げした当時は、主力選手の多くが柔道家出身であったこともあり、同じ力士という出身の豊登に対して力道山は期待を寄せていたという。
当時、力道山のパートナーは木村政彦であったが、その裏では同じ力士出身のパートナーを欲しており、木村をノックアウトさせたのはそのパートナー交代の暗喩だったのではないかとも言われている。
身長174cmを公称しており、プロレスラーとしては小柄な部類であったが日本人レスラーの中では屈指のパワーを誇っていたとも言われる。WWA世界王座戦においてはザ・デストロイヤーから「まるで熊と戦っているようだ」と言わしめた。大食いかつ早食いでも知られ、にぎり寿司250貫を完食したというものや、山本小鉄がラーメンを1杯食べ終わるまでに3杯目を頼んでいたとの逸話も残っている。
また、特筆すべきは「アントニオ猪木」というリングネームを命名したのが彼であったということだ。命名時に豊徳は、ブラジル帰りだから洋風が良いと言い”死神の酋長アントニオ猪木”と提案したが、猪木は豊登ほか周囲の幹部の人々へ土下座をし、「アントニオ猪木はいただきますから、死神の酋長だけはやめて下さい!」と泣いて土下座をしたというエピソードがある。
1963年に力道山が亡くなって以降、彼はポスト力道山として、また日本プロレスのエースとしてプロレス界を支えていった。1964年には、ザ・デストロイヤーを破りWWA世界王座となり翌年には日本プロレスの社長に就任するなど一時代を築くこととなる。
しかし、彼の評判は次第に悪い方へ向かっていくこととなる。彼のその後を左右したといってもよいその原因はギャンブルであり、会社の金を横領しては競輪や競馬などですり続けていく。そのあまりのギャンブル狂いは、「俺は馬語がわかる」と豪語していたことからも伺えることができるが、結局は強い非難を受けて日本プロレス社長を退任、それと同時に日本プロレスそのものから去っていった。
時代がジャイアント馬場時代を迎えていた頃、アメリカ遠征から帰国予定であったアントニオ猪木と密会して口説き落とし、1966年の10月、蔵前国技館にて東京プロレスを旗揚げするに至った。とは言え、ギャンブル癖は治らないままであり、その後猪木とも決裂、東京プロレスはわずか3カ月で崩壊してしまった。
国際プロレスに入団しエース格として活躍したものの、後進の選手が次々と育つ中で潮時と判断し、38歳で現役引退を表明。板橋区体育館で10カウントを鳴らす引退セレモニーが行われることとなったが、これが日本で最初のプロレスラー引退式であったと言われている。
その後も、アントニオ猪木による新日本プロレスの旗揚げ戦で現役復帰するも、坂口征二が新日本プロレスに移籍するタイミングで完全引退をし、1989年のユセフ・トルコ引退セレモニーに来賓として現れて以降表舞台から姿を消し、1998年、急性心不全で67歳で亡くなった。
巡業先では、若い衆などを引き連れ夜の街を練り歩き、芸能界にも顔がきいていたとまで言われるほどの浪費癖を持っていた彼であるが、力士時代は非常に大人しく無口で社交性はないといった評価がされ、ギャンブルのギの字も無かったと言われている。
その力士時代の成績は、幕内力士となる新入幕も果たしたほど好成績であった。もし、彼が力士を続けていたのであれば、このような転落とも言える人生には至らなかったかもしれない
【参考記事・文献】
豊登
https://dic.nicovideo.jp/a/%E8%B1%8A%E7%99%BB
「赤坂でヤクザに刺され…」39歳で急死した力道山…その後継社長になり、ギャンブルで大失敗したレスラー“知られざる人生”「アントニオ猪木が土下座した日」
https://number.bunshun.jp/articles/-/862936
「非合法ギャンブルで一晩2000万円を溶かし…」日本プロレスから追放された“伝説のレスラー”豊登とは何者か?「“親方と不仲説”…23歳で相撲界から消えた」
https://number.bunshun.jp/articles/-/862935
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【文 黒蠍けいすけ】
画像 ウィキペディアより引用