1970~80年代、日本におけるオカルトの創世記ともいえるこの時代の象徴の一つに、超能力者という存在があった。ユリ・ゲラーのスプーン曲げが広く日本に知られ、彼の影響により数々の「超能力少年」と呼ばれる少年たちがメディアによって取り上げられた。
そのうちの代表的な一人として、エスパー清田がいる。1962年生まれの彼は、小学6年生にして「スプーンを曲げる超能力少年」と銘打ってマスコミデビューをした。発端は1974年。『木曜スペシャル』にてユリのスプーン曲げを見ていた時、「曲がったら面白いな」と興味本位でスプーンを手に取って試したところ、本当に曲げることができてしまったという。
彼は、普段から部屋にあるオモチャが勝手に動き出したり、部屋の蛍光灯が点滅をしたりといった奇妙な現象が多かったこともあり、超能力に対する抵抗は何も感じていなかったそうだ。彼が父のこれを実演して見せたところ、精神世界への関心が強かった寿司職人の父親を興奮させ、「お前は寿司屋を継がずに超能力者になれ!」とまで彼に言ったという。
その後、大衆演劇の元締めをしていた祖父が、新聞記者にこのことを話したことで取材されるようになり、あっという間に新聞の一面を飾るほどの話題となった。
当時、あまた現れた超能力少年(男女問わず)たちは、淘汰という形で次々に消え去っていったが、その中でも最後まで生き残っていたのはエスパー清田だけであった。しかし、次第に彼は心労からメディア露出に対する脅迫観念のようなものを抱くようになってしまったという。
番組を成功させなければならないというプレッシャーが重くのしかかった彼は、1984年、超能力番組の収録時にスプーン7本中3本を”強引に”曲げてしまうといういわば禁じ手を犯してしまった。この様子は隠し撮りによって判明し、インチキが報じられるや否や瞬く間に彼はイカサマ師と大バッシングを受けることとなってしまった。
この時は、漫画家のつのだじろうによって「今まで積み上げてきたものが台無しになった」との怒りを受け、また父親も激怒するに至った。
しかし、一方で彼の超能力については「主張した”全て”がトリックや手品と結論づけられていない」唯一の人物とも言われている。トリックについては自身でも認めてはいるものの、それは前記の事情によるものであり、他方では研究者などの監視のもとで超能力を披露し成功させたことや、実験におけるデータ提供もしていた。
因みに、彼はテレポートや空中浮遊もできたことがあると自称している。しかしながら、実践した際はあまりにも疲弊してしまうために、もう一度やろうという気が起らないという。
余談だが、1989年にナムコから発売されたファミコンソフト『マインドシーカー』では、監修を担当している。「超能力を開発する」というキャッチコピーの本作は選択型のアクションゲームとして発表されたが、超能力とは名ばかりの「究極の運ゲー(運任せのゲーム)」と称され、現在でも怪作として知る人ぞ知るゲームとなっている。
いずれにせよ、間違いなくエスパー清田は、昭和の超能力少年のレジェンドとも言える存在であったことは間違いないだろう。
【参考記事・文献】
昭和の超能力レジェンドが仰天告白「テレポーテーション」実は疲れる?
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/133661
元「超能力少年」清田益章さん(61)が語る「“3億円で教祖”の誘いも興味なし。今はマンション経営で悠々自適の日々」
https://www.news-postseven.com/archives/20230501_1865260.html?DETAIL
清田益章
https://dic.nicovideo.jp/a/%E6%B8%85%E7%94%B0%E7%9B%8A%E7%AB%A0
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【文 ZENMAI】
画像 ファジー / photoAC