事件

「レッサーパンダ帽子男事件」事件後に判明した加害者家庭の現状

レッサーパンダ帽子男事件は、2001年4月30日に東京都台東区内で発生した通り魔殺人事件である。

女子短大生一人が犠牲となったこの事件の奇妙なその名は、犯人である山口誠がレッサーパンダの帽子をかぶっていたということから付けられた名称となっている。

この事件は、犯人の山口は普段からレッサーパンダの帽子をかぶっているのが目撃、事件当時凶行に及んだ際もそのままであったということ。また、彼は数日後に東京近辺の建設現場で作業していたことがわかり逮捕に至っているが、その期間中に逃亡を図るような様子が全く無かったということ。こうした奇妙な点がいくつか見られていた。

逮捕によって犯人の履歴が調査された結果、彼は軽度の知的障害を有していることがわかった。のちに行なわれた裁判は、元養護学校教諭でありジャーナリストでもある佐藤幹夫の著書のタイトルでもある「自閉症裁判」とも呼ばれている(犯人自身は、弁護団に対して知的障害や自閉症であることを否定し続けていた)。

公開された犯人の経歴とその生活史によって明らかになった事実は多い。

17歳で最愛の母親を無くして以降には、アルバイトを始めては辞めての繰り返しであり、家の金を持ち出しては頻繁に家出をし、さらには強制猥褻未遂や強盗未遂などで何度も逮捕されていた。興味深いのは、彼の行動範囲が想像以上に広いことであり、地元札幌外での道内函館はもとより、青森、東京、はては熊本にまで赴いていたという。

事件の1時間前、彼は別の女性を猥褻目的で物色していた。好みであれば襲おうと考えていた彼は、その時持参していた刃物をちらつかせたものの叫ばれたためにその場から去った。その後、わずか600メートルほどしか離れていない地点で彼は被害者に目星をつけたが、彼女が睨んだように一瞥してくるのをみて「バカにされた」と思った彼はとうとう殺害という手段に至ってしまった。

しかしながら、レッサーパンダ帽子をかぶった身長180センチメートルの巨体に、被害者女性は単に驚き警戒を示しただけだったであろうことは容易に想像がつく。殺害後、彼は帽子と着ていた毛皮のコート、そして凶器の刃物を植え込みに隠して逃走。

この事件の更なる悲劇は、彼の身内にあった。事件後に軽度知的障害であることが判明した父親は、パチンコの浪費癖がひどい上に家庭内暴力も繰り返していた。犯人自身、幼い頃には真冬に全裸で屋外に放り出されたことや青竹で全身を叩かれたこともあったという。

しかし、それ以上に悲惨であったのは妹であった。

浪費癖の父や家出常習・前科持ちの兄を持つ妹は、高校進学の希望を諦め中卒で工場勤務をし、家計を支え続けていた。だが、そうして得た賃金のほとんどは父や兄に持ち出されてしまい、時には私物を勝手に売られてしまったこともあった。しかも、若くしてガンも患っていたのである。

皮肉にも、そうした妹の状況が明るみになったのは事件が起こってからのことであり、ボランティア団体による支援が受けられてのちの事件から1年後に亡くなった。

我が子の命を突然に奪われた遺族の思いは当然ながら、この事件によってもたらされた課題はあまりにも大きい。

【参考記事・文献】
村瀬学『自閉症』

レッサーパンダ帽男殺人事件の犯人/山口誠の現在!
https://wondia.net/red-panda#i-2
浅草・女子短大生刺殺事件(レッサーパンダ帽男殺人事件)
https://gobou-chan.com/case/red-panda/

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【文 ZENMAI】

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