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龍馬の妻「おりょう」偽写真騒動、若い頃のおりょうの写真は全て別人だった?!

幕末の志士坂本龍馬の妻と言えば、楢崎龍(通称おりょう)である。龍馬からは「まことにおもしろき女」とべた褒めされ、龍馬と敵対していた新選組の近藤勇も、好意からたびたび贈り物をしていたと言われ、非常に美しい女性であったと言われている。

明治37年(1904年)12月15日、東京二六新聞に「坂本龍馬未亡龍子」と題する記事が掲載された。明治天皇の皇后の夢枕に坂本龍馬が立ったということで龍馬が有名となり、おりょう自身も取り上げられることとなったのだ。この記事には、「本年六十四歳」と記されたおりょうの写真が掲載されており、当時おりょうがおさめられた唯一の写真とされていた。

月日が経ち昭和54年(1977年)のこと、龍馬が暗殺された近江屋の子孫井口家が保管するアルバムからとある写真が発見された。その写真には若い女性が写っており「お竜」という名前が鉛筆で書かれていた。このため、おりょうの若い頃の写真が発見されたと話題になったのだ。更に平成12年(2000年)には、同一人物と思われる女性の座り姿の写真も発見され、写真裏に「たつ」と墨書きがなされていた。この写真は共に、浅草の内田九一の写真館で撮影されたものであることが判明している。


だが、この若い頃のおりょうとされる2枚の写真は、「本当に本人なのか」という真偽がこれまで多く議論されてきた。偽物であるとする意見には、新聞に掲載されたおりょうの目鼻立ちとは異なっていること、当時非常に高価であった写真を撮る余裕が本人にあったのかという疑問などがあげられ、この女性は当時のブロマイドとして販売されていた芸者ではないかという推測もなされていた。

2008年、科学警察研究所によりおりょうの写真の鑑定が行われたところ、「別人であることを本質的に示す根拠はない」と結論付けられたことが、読売新聞で報道された。しかし、この表現は極めて曖昧なものであり、論者にとって納得できるようなものではなかった。

しかしその後の2013年、都内の古書店にて若き日のおりょうとされた女性と同じ人物の名刺判写真が発見された。この写真の裏側には「土井奥方」と記されていたことから、女性の正体は「土井子爵家の妾となった女性」であり、おりょうとは別人であることが確定したのである。




因みに、これ以外でもう1枚「若い頃のおりょう」が写る写真ではないかと言われているものがある。おりょうはかつて勝海舟の紹介により、現在横浜最古の料亭として知られる「田中家」へ住み込みで働いていた時期があるという。その従業員の集合写真の中におりょうと思しき女性がいるとされ、明治7年ごろのものとされていることから33歳のころの姿ではないかと言われている。

だが、明治初期の写真技術に比してあまりに鮮明であり、被写体の人物たちの髪型や着物の具合から明治末期以降に撮影されたものではないかと考えられている。結局のところ、この写真はおりょうの写真としては当初より信憑性が薄いものと見なされている。

初めて発見されて以降「おりょうの若い頃の写真」として広まったいわゆる偽写真は、真偽不明のままでありながらこんにちまで拡散されてきた。その理由の一つとして、「晩年の写真ではなく若い頃の姿として紹介した方が映える」というメディアの都合や思惑が働いていた可能性もあったのだろう。

だが結論として、おりょうの若かりし頃の写真というものは、現在確認されていない。

【参考記事・文献】
再び 東海道を歩く(03:神奈川:田中屋)  2014.7.11
https://blog.goo.ne.jp/mrsaraie/e/9ac71d211e438a9e84c39dec22a8a76b
おりょうの写真 1/2
http://kyukyo-do.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-6a5a.html
【古写真関連資料】写真師・内田九一と、坂本龍馬の妻・楢崎龍(お龍)の肖像写真
https://shashinshi.biz/archives/7861

(黒蠍けいすけ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 ウィキペディアより引用