事件

信長を暗殺しようとした男「杉谷善住坊」、その壮絶な最期

1570年、織田信長と朝倉義景との戦闘の一つである金ヶ崎の戦いが起こった。この戦いは、朝倉の策略や同盟を結んでいた浅井長政による予想外の裏切りなどにより、織田軍勢が撤退を余儀なくされた戦いとして知られており、「織田信長による史上最大の負け戦」とも評されている。

この金ケ崎の戦いから岐阜城へ撤退するその途上、なんと信長は銃撃を受けていた。

幸いにもかすり傷で済み、九死に一生を得た信長であるが、これは明確な信長暗殺未遂事件とも呼べる出来事であった。その信長に銃を向けた人物の名は、杉谷善住坊(すぎたにじゅうぜんぼう)。

信長暗殺を目論んだ戦国のスナイパーなどと称される、杉谷に関する情報は殆どわかっていない。その出自や生年は不明なままとなっているが、杉谷という姓から「伊勢国菰野(こもの)の杉谷城主」「伊賀国杉谷の出身」など様々な説が唱えられている。

「甲賀忍者・甲賀五十三家の杉谷家の出身」という説もあることから、彼自身が忍者だったのではないかとも考えられており、この他「猟師」「根来衆や雑賀衆などの傭兵あるいは僧兵」に関係しているのではないかという説もある。僧兵とする理由は、「坊」が付いているためとのこと。

では、そもそも彼はなぜ信長を暗殺しようとしたのか。これについても明確な動機はわかっていないのが現状だ。有力とされているのは、信長と敵対関係にあった六角義賢(ろっかくよしかた)の依頼を受けたというものであるが、これ以外にも「甲賀と対立した信長への恨み」「単なる腕試しや賞金稼ぎ」といったものまで様々だ。

ともかく、その日彼は火縄の銃口を信長の命ただ一つを狙い定めていた。だが、確かに信長へ命中はしたものの、前述したように結果は失敗に終わってしまった。愛知県に残る伝承では、懐中にあった万松寺不動尊の餅に銃弾が当たって辛くも免れたと言われているという。信長の強運に阻まれた暗殺計画は失敗し、杉谷は以降逃亡生活を余儀なくされた。

暗殺未遂で大いに怒った信長によって徹底的な犯人探しが行なわれた。結果、約3年後に信長配下の領主磯野員昌(うそのかずまさ)によって、現在の滋賀県高島市にある阿弥陀寺に杉谷が身を隠して潜伏していたことが突き止められ、とうとう捕らえられた。

こうして、信長のもとに身柄を引き渡された杉谷は、尋問の後処刑されることとなったが、その刑はあまりにも恐ろしい「鋸引き」の刑であった。

『信長公記』によると、杉谷は路傍に首だけが地面から突き出た形で埋められ、さらに竹製の鋸を通行人に引かせるというものであったという。刃に比べて竹では一引きでは死ねず、引かれるたびに血が吹き出しては痛みで絶叫して気絶、さらに引かれて目が覚めるの繰り返し。

この鋸引きの刑は、戦国時代でもこれ以上無いと言われるほどに残酷な拷問と言われているが、いかに信長の怒りがそれほど凄まじいものであったかを物語っている極刑とも言えるだろう。こうして、杉谷善住坊は最も残忍な刑に処されて絶命した。

【参考記事・文献】
戦国時代の火縄銃による暗殺の逸話 「信長を狙った杉谷善住坊、宇喜多直家の日本初の狙撃暗殺」
https://kusanomido.com/study/history/japan/sengoku/77382/
織田信長を火縄銃で狙撃した謎多き男「杉谷善住坊」とは?狙撃の理由やその後に迫る
https://mag.japaaan.com/archives/198660
竹ノコギリで首を、気絶しても気付け薬で蘇生…戦国時代に本当にあった「残酷すぎる拷問」
https://gendai.media/articles/-/85182
杉谷善住坊の解説~織田信長を狙撃した未だに謎多き戦国スナイパー
https://senjp.com/sugitani/

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【文 ナオキ・コムロ】

画像 ウィキペディアより引用