勘太郎火は、愛知県の犬山市などに伝わる怪火である。「勘五郎火」あるいは単に「勘五郎」と呼ばれることもあり、二つ一緒に現れる怪火だと言われている。
尾張の橋爪という地域に勘太郎(あるいは勘五郎)という若い百姓と母親が二人で暮らしていた。勘太郎は評判の良い働き者であったが、ある時日照り続きで勘太郎の田んぼが干上がってしまい、まだ水の残っていた隣の田んぼから自分の田んぼへ水を引いてしまった。そのことがバレてしまった勘太郎は村人から袋叩きにあってしまい、とうとう死んでしまった。
息子が帰ってこないことを心配した母親が、家を出て村人たちに事情を聞いたが皆勘太郎の行方を教えてはくれなかった。母親は一心に勘太郎の名を叫んで捜し続けたが、飲まず食わずで捜し回った末にとうとう母親も命を落としてしまった。それ以来、毎年夏になると二つの”陰火”が村を彷徨うようになり、また400年に渡って傍にある青木川が幾度も氾濫し村人を苦しめた。犬山徳授寺にて勘太郎親子を弔い、ようやく青木川の氾濫はおさまったという。
柳田國男の『妖怪談義』では、宮崎県延岡地方に伝わる「オサビ」の項目で触れられている。オサビは、雨の降る夜に三角池と呼ばれる池に現れる二つ並んだ怪火であり、二つ一緒に出る火の類例として簡易的に触れられているのみとなっている。
勘太郎火の最も詳しい記述は、編集者・著述家である石井研堂が編纂した『日本全国国民童』(1911)にあるという。その内容によると、橋爪という村で毎年夏の晩に現れる松明ほどの光を出して彷徨う怪火といった大まかな内容は変わりないが、「二人の魂」「二人の怨霊」といった表現はあるものの実際のところ二つの火という記述はなされていないようである。
『日本全国国民童』はおそらく勘太郎火を紹介した最古の出典であると考えられているが、のちの1937年に出版された『愛知県伝説集』では、ほぼ大筋が同じ話として「勘五郎火」が紹介されている。名前が「勘太郎」ではなく「勘五郎」となっていると同時に、その紹介文では明確に「二個の陰火」という表記がなされている。
勘太郎火、勘五郎火はその内容から同一のものであると考えられるが、なぜ名前が違っているのか、なぜ明確に二つの火とあるとのそうでない書き表し方がなされているのかは判然としない。
一つ注目したいのは、『日本全国国民童』での「勘太郎火」には挿絵も用意されているのだが、そこには松明に火をつけて勘太郎を捜している老母と、その傍に浮く勘太郎のものと思しき人魂が描かれている。推測だが、現在でも伝わる「二つ一緒に現れる怪火」というイメージは、この勘太郎の人魂と母親の松明の火というまさしく”二つの火”が描かれている挿絵から拡散されたものである可能性があるのかもしれない。
因みに、同県岩倉市八釼町にもいわゆる「勘五郎火」の伝承があり、それによると蛍捕りに出かけて行方不明になった勘五郎を捜す母の手明かりが勘五郎火であるといい、その光はやや青みがかった赤い火で田植えの時期に特によく見られたと言われている。
【参考記事・文献】
カンタロウビ
https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2180960.html
カンゴロウビ
https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/0690267.html
勘五郎火
https://tyz-yokai.blog.jp/archives/1077434933.html
勘太郎火と勘五郎火
https://youkai.hatenablog.jp/entry/20130318/1363633776
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【文 ナオキ・コムロ】
画像 日本全国国民童話(国立国会図書館デジタルコレクション)