都市伝説

尻尾を持つ種族「有尾人」は実在するのか?

古事記の中に、神武天皇が八咫烏に導かれているその途上、吉野川を通りかかった際に、光る井戸の中から「尾生(あ)る人」が現れ、国つ神の「井氷鹿」(いひか)であると答えたという一説が記載されている。その直後に、今度は巌を押し分けて「石押分(いわおしわく)の子」という国つ神が現れ、これまた尾生る人であったという。

人間にも、かつては尻尾があったと言われているが、進化の過程で失われたというのが定説となっている。その名残として、胎児の頃には尻尾があるが生まれ出る頃には椎骨と融合し消えてしまうのだと言われている。近年では、尻尾を失った理由は突然変異であるとも考えられており、これによって人間が尻尾を持つことは基本的に無くなった。

とはいえ、時折「尻尾の生えた人間」というものが話題に上ることも少なくはない。それらは、「先祖返り」のために尻尾を持って生まれてきたのだとされており、特にインドでは「猿神ハヌマーン」の化身として崇められるケースも見られる。そうした形の尻尾は自在に動かせるようなものではなく、長さも人によりまちまちである。しかも、見た目の問題から赤ん坊のころに切除してしまうことが殆どである。

ところで、冒頭で触れたいわゆる有尾人は本当に尻尾を持っていたのだろうか。説として考えられているのは、実際に尻尾を持っていたわけではなく、何らかの装飾が尻尾に見えたのではないかと言われている。例えば、尻尾のついたままの毛皮をまとっていたのではないかとするものや、現代でも修験道の行者が腰に巻いているという「引敷」(ひっしき)という道具が尻尾のように垂れ下がって見えたために尻尾と表現したというものだ。

あるいは、井氷鹿と石押分の子は出自が中国北方の犬戎(けんじゅう)という部族であり、その犬戎には先祖が犬であるという伝説を有していたことから、その暗示のために尾の生えた人ということで比喩したのではないかとする解釈もある。

日本以外でも各国において神話や伝説に語られる尻尾を持った人間的な存在というものは、何らかの比喩などでそのように伝えられているといった見方がなされることが多い。だが、一方で現代でも尻尾を持った人々、いわゆる有尾人とされるような未開の部族が存在しているのではないかという説もある。

1910年、旅行家のW・スローンがニューギニアの奥地で尻尾の生えた部族を発見したのだという。尻尾はいわゆる尻尾状の突起物であり、ヒヒのそれと同じくらいの長さであったとのことであるため、50センチメートル前後と言ったところだろうか。

彼らは、1階部分が柱で2階部分が居住空間となっているピロティ構造の住居を構えており、その床には眠る時に尻尾を垂らすための穴が一定の間隔であけられていたというのである。また、1926年にはフォルバンという名の医師がフィリピンのルソン島に住むブトク族について収集観察したところ、この部族の多くの人々が長い尻尾を備えていたのだという。

こうした過去の記録のいくつかは、後世に再び観察されたところデタラメであったというような検証結果がなされており、尻尾を持つ種族というものは空想に過ぎないという見方が強い。実際、日本においても戦前の一時期において秘境を舞台にした冒険活劇やSF小説が流行していたこともあり、のちに手塚治虫の描いた『有尾人』も彼の幼い頃の熱狂が現れているとされている。

しかしながら、尻尾が生える人間そのものは実際に誕生することがあるという事象自体は事実である。詳細は不明であるが、とある家系にて代々女性のみが尻尾を持って生まれてくるというものもあり、遺伝によって尻尾を持つ例は存在するという。

このことはマルタン・モネスティエの著書『奇形全書』に収録されており、しかもこの例では生まれつきではなく15、16歳になると生えてくるのだそうだ。ただし、本書は記載について怪しい部分が多々見受けられるということには注意したい。

いずれにせよ、尻尾が生えた人間が今なお誕生することは確かである。

【参考記事・文献】
マルタン・モネスティエ『奇形全書』

尻尾のある人はいる?尻尾がある人は意外と多かった。
https://tklab.net/927/.html#toc4
人間はなぜ尻尾を失ったのか?遺伝子の突然変異だった可能性
https://karapaia.com/archives/52306094.html
有尾人
https://tezukaosamu.net/jp/manga/510.html

【アトラスニュース関連記事】
【フィリピン発】住宅地の防犯カメラが尻尾の生えたシャドーマンをとらえた?!

俳優・渡辺徹が見た…リアル「ねずみ男」、後日次男も一緒に目撃していた!

【文 黒蠍けいすけ】

画像『有尾人 Kindle版