一目連(イチモクレン)は、江戸時代に庶民を中心として信仰され、出現時に激しい暴風雨をもたらすとして恐れられた妖怪、もしくは神である。三重県桑名市の多度(たど)大社の摂社として、「一目竜社」あるいは「多度権現」などとも呼ばれており、台風の神として祀られているという。
江戸時代の古文書に多く記されていることから、広く人々に知られていた存在であったことが見て取れる。
江戸前期から中期にかけての儒学者である松浦交翠軒(こうすいけん)の著書『斉東俗談』によると、伊勢・尾張・美濃・飛騨にて、大木をなぎ倒し、大岩を崩し、民家をも破壊する暴風が不意に吹くことがあり、しかもその暴風はただ一筋だけを吹き通して他へは被害を出さなかったという。この風は「一目連」と呼ばれ、神風として恐れられたのだという。また、一目連は人のような形をしており、茶色の袴を穿いているとも地元では伝わるという。
江戸時代中期の旅行家である百井塘雨(ももいとうう)の著書『笈埃(きゅうあい)随筆』によれば、一目竜社から神が外出をする際には雷鳴が轟き雨も降り、土地の住民たちが空を見上げると屋根すれすれのところを黒雲が通り過ぎていくのだという。
一目連が外出している間は風が無くなり海上も穏やかになるが、他の国では田畑が大荒れとなってしまうために迷惑がられていたという。このことから、毎年7~8月ごろに暴風雨が起こると、土地の人々は「出かけるところだからやまない」「もう出かけたあとだから風はやむ」などと言うそうだ。
興味深いのは、『笈埃随筆』では一目連を「実際は一目の竜であろう」などと記していることだ。多度山には片目を失った龍神が棲んでいるとも言われており、その竜が暴風雨の本体であると言われているのだ。いわば、一目連は一目竜が転訛した呼び名であるという解釈も可能なわけである。
この一目、いわゆる片目であるということについては興味深い情報がある。伊勢の地誌をおさめた江戸時代の書物『勢陽五鈴遺響』(せいようごれいいきょう)では、一目連を「天目一箇神」(あめのまひとるのかみ)であるとし記されている。天目一箇神とは、日本神話に登場する一つ目の神であり、天照大神の孫の一人で鍛冶の神とされている。鍛冶の神がなぜ一つ目であるのかということについては、鍛冶職人が鉄を鍛える際に片目を閉じて作業することや、炉の火の色を片目で温度を見るといった仕草に由来するとの説もあるようだ。
しかしながら、なぜ一目の竜と天目一箇神が同一視、もしくは習合されたのかについての経緯はわかっていない。多度大社によれば、祀っているのはあくまで天目一箇神であって「一目連」という名の存在ではないこと、また一目連社という摂社の名前については、先の鍛冶職人の職業病による片目での作業、あるいは台風の目が一つであることによって称されるようになったとのことである。
明確に神として祀る神社の立場と、人知を超えた神威的な存在という認識を持った庶民との間のズレが、このような事態を生み出してしまっているのかもしれない。
因みに、こうした風にまつわる言い伝えは、相模国や駿河国では一目連に似た風としてそれぞれ「鎌風」「悪禅師の風」などと呼ばれる風が吹いたという。蝦夷松前にいたっては、12月の晴天時に、道を歩いていると狂風に遭遇しその場に倒れ込んでしまい、必ず頭部や手足に傷を負うのだという。
当地ではこれを「鎌閉太知」(かまいたち)という、あの聞き馴染みある名前で呼ばれていたようである。
【参考記事・文献】
村上健司『妖怪事典』
神風・悪風
https://sanmoto.net/_koten2/1878shinpuaku.htm
アメノマヒトツノカミのご利益や神社
https://xn--u9ju32nb2az79btea.asia/shinto11/shrine76.html
一目連(いちもくれん)
https://x.gd/rL77h
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【文 ZENMAI】
Alexander RoyによるPixabayからの画像