江戸時代の画家鳥山石燕によって描かれた妖怪画集『今昔百鬼拾遺』に、古庫裏婆(こくりばばあ)という老女の姿をした妖怪が描かれている。一見すると、細長い糸のようなものを数本手に取り、また口に咥えて縒(よ)っているように見えるが、入れ物から長い髪の毛を取り出しているようにも見える。
解説文によると、山中のとある古寺の庫裏(くり)に梵嫂(ぼんそう:住職の妻)が住み着いているのだという。七代も前の住職の妻であったその老婆は、檀家が寺におさめた食べ物や金銭を盗み取り、さらには墓所に埋葬された死体を掘り起こしては皮を剥いでその死肉を食らっていたという。
三途の川で死者の衣服を剥ぎ取り、その重みで罪を量る老婆の姿をした鬼「奪衣婆」(だつえば)という妖怪もいるが、解説文の最後にはその奪衣婆よりも恐ろしいと記されている。
古庫裏(こくり)とは「古寺の庫裏」の意味であると取れるが、一説には「むくりこくり」という語から来ていると言われている。むくりこくりは「恐ろしいもの」の意味で使用される言葉であり、かつての元寇の頃に「蒙古・高句麗の鬼が来る」と言って恐れられたことに由来していると言われている。そのことから考えると、むくりこくりの音を拝借して古庫裏の字を後で当てたために古寺そして梵嫂という設定が付けられたのではないかとも考えられる。
注目すべきは、古庫裏婆の解説文冒頭に「僧の妻を梵嫂といえるよし 輟耕録(てっこうろく)に見えたり」と記されている点だ。梵嫂という言葉の出典を言っているだけに思える一文であるが、『輟耕録』とはそもそもなんであるか……
輟耕録は、1366年(元末)に文人陶宗儀(とうそうぎ)が書いた随筆であり正確には『南村輟耕録』という。元の時代の政治・制度をはじめ風俗や文化そして奇抜な逸話などを雑記として多く記していることが特徴であるが、その中には戦場での人肉食の実例やその調理法が多く紹介されており、この食事方式を採用した隊は大いに士気が高揚したと言われているという。
人間の肉を食するというのは、大きな飢餓が起こった”緊急事態”の際には日本でもあったと言われているが、こと中国における人肉食は、習慣的に、いわば日常的な食文化となっていたとも言われている。しかし、大陸から多くの文化が入ってきた日本においては、科挙や纏足などと共にこの人肉食の文化は許容されることはなく、古くよりタブー視が根強かったと見える。
古庫裏婆の解説の冒頭に『輟耕録』をわざわざ出してきたのは、実際日本でも流布されていたというこの随筆の人肉食を妖怪の説明として印象付けるためだったのかもしれない。加えて、住職の妻という設定も補強をしていると思われる。
江戸時代の4代将軍徳川家綱の出した『諸宗寺院法度』(1665)では、浄土真宗を例外として男性僧侶が主僧を務める寺院に女性を置いてはならないという禁止がなされており、解釈次第ではあるものの僧侶が表立って妻帯を持つことをタブー視する向きが反映されていたことは確かだろう(寺院外に妻のための別宅を作っていたという事例もあるようだが)。
人肉食に寺院のタブー、古庫裏婆はこうしたいくつものタブーを背負った”恐ろしい”妖怪であると言える。いや、むしろタブーを破った人間ほど妖怪以上に恐ろしいものはないという暗喩なのだろうか。
【参考記事・文献】
中国の人肉食(カニバリズム)文化
https://ameblo.jp/hagure1945/entry-12423698168.html
梵妻・梵嫂・寺庭婦人
https://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/82ff3336968b81e60827910192ae5669
妖怪「古庫裏婆」の伝承・正体
http://ayakashi-web.com/yashiki/kokuribaba.html
【アトラスラジオ関連動画】
【文 ナオキ・コムロ】
画像 ウィキペディアより引用