国学とは、江戸時代に勃興した代表的な学問の一つであり、記紀万葉などの古典を読み解き、インドや中国といった大陸文化が取り入れられる以前の「日本古来の文化」を追及した学問である。幕末に至るまで数多くの学者が誕生していったが、その大成をなした人物として知られるのが本居宣長だ。
彼の最大とも言える功績の一つは『古事記伝』の執筆であった。当時、すでに解読が困難となっていた「古事記」の詳細な注釈書である「古事記伝」は、彼が35年もの歳月を費やして完成させた資料であり、これによって国学は大成したと言われている。
記紀の研究に際しては、双方に記述の相違があった時に古事記の記述を優先していたということから、「古事記伝兵衛」などというあだ名で揶揄されたほどであるという(そう呼んだのは、国学において意見対立をしていた、『雨月物語』の作者の上田秋成だったようだ)。
また、同様に江戸時代にはすでに解読困難であった「源氏物語」の注釈書『源氏物語 玉の小櫛』を執筆し、「もののあはれ」という日本人独自の美意識の発見にも至った。さらに、そうした古典を扱う傍ら日本語の文法、仮名遣いの研究にも着手しており、和歌における字余りの法則性、古語における母音や子音の研究なども行なう言語学者としての側面も持っており、古典研究の嚆矢とも言える功績を残した。
国学者、言語学者、文献学者として(その理論に賛否は当然あるものの)華々しい成果をもたらした本居宣長であるが、実のところ彼は医者が本業であり、学者・研究者としてはいわばアマチュアであったとも言える。そんな立場でありながら、これだけの功績に加えて彼の思想や研究成果が平田篤胤などの復古神道研究の源流となり、また尊王攘夷運動における理論のバックボーンとなり、さらには明治維新の原動力にもつながったことは注目に値するだろう。
さて、「源氏物語」の注釈執筆も手掛けた本居宣長であるが、今でいうところの同人誌のようなものも書いていたと言われている。『手枕』(たまくら)は、源氏物語の主要人物である光源氏と六条御息所の出会いが書かれていないため、彼が自分で書こうと思い立ち書き上げたものであるという。文体も源氏物語に似せているという徹底ぶりである。
こうしてみると本居宣長は、学者あるいは研究者というよりも、性質としては今でいう熱狂的なオタクに近かったのかもしれない。とはいえ、その神業とも言えるほど膨大な執筆量からすれば、安易にそう呼ぶのも憚れる。
そんな彼の執筆の合間の癒しは、鈴の音色を聴くことであったという。鈴の音をこよなく愛していた彼は、書斎の柱にかけた鈴を振り、その音色を聞いて癒され再び学問に励むという習慣があったそうだ。学問に勤しむために手間のかからない気分転換の手段だったのかは定かではないが、無類の鈴好きであったことは確かであり、彼の書斎(私塾)は「鈴屋」と呼ばれたほどであったという。
【参考記事・文献】
手枕~六条の御息所との出会い~
http://sara-text.cocolog-nifty.com/turedureblog/2010/03/post-7d21.html
本居宣長
https://dic.pixiv.net/a/%E6%9C%AC%E5%B1%85%E5%AE%A3%E9%95%B7
いにしえの鈴の音
https://www.shodo.co.jp/tenrai/article/serial01/115-1-0.htm
【文 ナオキ・コムロ】