松本清張といえば、『点と線』や『砂の器』といった探偵小説のほか、『日本の黒い霧』などのノンフィクションも手掛けた昭和を代表する小説家の一人である。自身の作品により、富士の樹海が自殺の名所として広まるきっかけを作った人物としても知られ、後世に与えた影響は計り知れない。
最盛期には、原稿用紙換算で月産2000枚以上の執筆量をこなしていたとも言われており、超人的なペースで作品を発表し続けたその様は半ば伝説化するほどに恐れられた。だが、そんな彼はかつて著作権を侵害したとして訴えられた経験があった。
1968年、この年の4月3日付の読売新聞に「松本清張氏、告訴される」とのタイトルが躍った。それによると、1962年に出版された松本清張の著作『深層海流』の一部が、1955年に発表された著述家・三田和夫の著作『赤い広場─霞ヶ関』から盗用されているというのである。
問題の箇所は、大きな部分で2ヶ所、小さな部分で10ヶ所ほどであると言われ、訴えた三田によれば表現や構成を含め、ほぼ丸パクリしたような文章であるというのだ。三田は、『20世紀』1968年7月号に「私はなぜ松本清張を告訴したか」という記事も発表するほどに徹底した姿勢を見せており、当時文部省著作権課長であった佐野文一郎も「文章を見る限りでは、著作権侵害の疑いがあり」とのコメントを東京新聞の記者にしていたという。
三田によると、当初は訴えを起こすつもりは無かったそうであるが、本人からの返答が一切なされず、代理任せでの対応が続いたことに腹を立て訴訟に踏み切ったそうだ。同じころ、小説家山崎豊子が連載していた『花宴』という作品の一部がドイツの小説家レマルクの小説『凱旋門』をはじめ複数の作家の作品から盗用していたことが判明し話題となった。作家の偽作、盗作、代作の横行が強く問題視されたタイミングであったことも、三田が訴える後押しをしたのだろう。
だが、一方の松本は黙殺を決め込むことに徹したようだ。むしろ、名の知れた自分を訴えてくる売名行為にすぎないとして、無視し続けたというのである。その後、1968年7月には不起訴処分が決まり、不服とした三田が不起訴処分の理由照会を請求するため東京検察審査会に審査申し立てを行なうも却下。結果として松本に何ら影響を及ぼすことがなく終結することとなった。
すでに両者とも亡き人となった今となっては、真相はわからないままとなっている。ただ一つ、「深層海流」の中で盗用だと指摘された箇所については、1973年に刊行された『松本清張全集31 深層海流・現代完了論』に収録された際に削除されているという。
これが、一つの答え合わせになっているということなのだろうか。
因みに、先に登場した山崎豊子については、1973年に連載中であった『不毛地帯』でも盗用を指摘されており、これについては松本清張が「引用の頻度からいって、これは無断借用じゃなく盗用だ」と批判していた。その直前に盗用で訴えられていた彼は、どのような心持ちでこれを批判していたのだろう。
【参考記事・文献】
有名男女が巻き起こした“盗作騒動”「あの山崎豊子は盗作の常習犯?」
https://www.asagei.com/excerpt/43188
昭和43年/1968年・『深層海流』の一部は著作権侵害だと告訴された松本清張。
https://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/431968-20a6.html
『最後の事件記者』1958,三田和夫、著作権侵害で松本清張を刑事告訴した硬骨漢
https://tsubuyaki3578.com/article/489755800.html?seesaa_related=category
【文 ナオキ・コムロ】