妖怪・幽霊

悲しい昔話や実際の事件も…勝浦の心霊スポット「おせんころがし」

千葉県勝浦市大沢にある「おせんころがし」は、高さ数十メートル、幅4キロメートルに及ぶ断崖絶壁であり、太平洋を見下ろすことのできる名所だ。だが、それと同時に千葉県内の有名な心霊スポットの一つとして知られる場所でもある。

当地には「孝女お仙の碑」が建ち、ある一つの悲話が現在も語り継がれている。

豪族の一人娘であった”お仙”という名の女性は、日頃から年貢に苦しむ領民に心を痛め、父に説得するも聞き入れられることがなかった。ある日、お仙は領民が父の殺害を企てていることを知り、自身が父の身代わりとなって領民らの手で断崖から夜の海へ投げ込まれてしまった。

翌朝になってお仙が身代わりになったことを知った領民たちはこれを詫びて供養し、さすがの父も心を入れ替えたという。以来この崖は、この出来事にあやかり「おせんころがし」と呼ばれるようになったという。

「おせんころがし」にまつわる昔話は他にもバージョンが存在する。お仙という娘が草むしりをしながら漁に出た両親を眺めていたら足を滑らせ崖から落ちてしまった。農家の娘であるお仙が、牛に食べさせるススキの茅を採りに崖へ行ったところ突風にあおられ崖から落ちてしまった。

病身の父を持つお仙はその美しさから代官に言い寄られるも父が拒否、怒った代官が家来に父をむしろで包み崖に落とすことを命じるもお仙が密かに身代わりとなり海へ投げ込まれてしまった。いずれも、お仙が崖から落ちて亡くなるという結末に変わりはないが、なんとも悲しい話となっている。




心優しい娘の悲しい結末を迎える地となった「おせんころがし」であるが、実は心霊スポットとして知れ渡るようになったのは、別の出来事によるものであると言われている。それは、戦後間もない1951年に発生した「おせんころがし殺人事件」と呼ばれる実際に起こったいたましい事件だ。

1951年10月10日、行商に出たまま行方不明になった父親を探すため、母親とその3人の子供が勝浦の駅に着いた。そこに栗田源蔵という男が偶然知り合った彼らに家まで送ると声をかけてきたのだが、栗田ははじめからその母親を襲うつもりであった。

道中で母親を口説くも相手にされなかったことで腹を立て、なんとおせんころがしに到着するや否や栗田は長男長女を石で殴りつけて崖から落とし、母親が負ぶっていた3歳の次女を無理やり引き剥がしてその母親を強姦、最後には首を絞めて殺害し崖に投げ落とし、残った次女も地面に数度叩きつけて投げ落とした。

さらに、栗田は崖を降りて子供たちを探し出し、息があるのを確認すると完全に息絶えるまで石で滅多打ちにしたという。この時、長女のみが密かに身を隠すことができ唯一生き残ることができたそうだ。その後栗田は別件によって逮捕され、その際におせんころがしの事件の犯人であることも明らかとなった。

裁判で死刑判決が下された栗田は、1959年に死刑が執行されるに至った。

おせんころがし近辺では、ほかにも騒動が発生したことがある。2001年8月31日、おせんころがしの入口付近にかつて存在していた観光施設「行川(なめかわ)アイランド」が閉鎖された。閉鎖理由は観光客の現象によるものであったが、2013年9月13日の朝、行川アイランドの跡地から血まみれのTシャツが発見されたのである。

20人がかりで捜査がなされたものの、原因は結局わからずじまいとなっている。心霊スポットと呼ばれる地に、実際に記録として残る事件が複数確認できるという、「おせんころがし」は非常に珍しい例であるといえるだろう。

【参考記事・文献】
勝浦市商工会 おせんころがし
https://www.katsuura.or.jp/kankou/osenkorogashi.html
国道128号旧道 おせんころがし 最終回
https://yamaiga.com/road/r128_osen/main5.html
おせんころがし殺人事件の犯人は栗田源蔵!
https://wondia.net/osenkorogashi
おせんころがし【勝浦の心霊スポット?】
https://bosotown.com/archives/61987

【文 ナオキ・コムロ】

画像 ウィキペディアより引用