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昭和の大女優「淡路恵子」の尋常ではないドラクエ愛

2014年に80歳でこの世を去った淡路恵子は、松竹映画を中心に多数の映画やドラマに出演した昭和を代表する女優。高校中退後に松竹の養成学校へ入って翌年、黒澤明に注目されて芸名もないままに映画『野良犬』にて映画デビューを果たし、その後は松竹歌劇団のスターを経て50年以上に渡って精力的な活動を続けていた。

華々しい芸歴の一方で私生活は波乱に満ちていたものであり、2度の離婚を経験し、4男をもうけるも三男が事故死、四男が自殺といった苦難を味わった。しかし、そういった中でも泣き言をいうことは無く、また病床でも弱音を吐かず「女優への復帰」に執念を燃やしていたという。

その美貌と堂々たる演技力から大女優の地位を確立していた彼女は、酒好きでありブランデーをよく飲んでいたという。特に、「タバコは6本目の指」と公言するほどの愛煙家であることでも知られ、俳優・高橋英樹は「タバコを持たせたら右に出る女性はいない」と発言していたほどである。その吸い方についても美しさが醸し出されるというのは凄まじいものである。

さて、その淡路恵子について最もよく知られたエピソードといえば、芸能界でも屈指のゲーマーであるということ、特にゲーム『ドラゴンクエスト』(ドラクエ)シリーズを初代から通してプレイしているほどの熱烈なファンであったということだ。ドラクエにまつわる彼女のエピソードは、他の逸話を圧倒するほどの量を誇っていると言っても良いだろう。




そののめり込みようは並大抵のものではない。地方ロケの際にはゲームハードを持参し、携帯電話の着信音をドラクエの音楽にしたいがためにショップに通いつめ、バラエティ番組に登場すればドラクエの話を熱弁し止まらなくなり早回し編集されることもあったという。

プレイスタイルにも重度のゲーマーぶりが垣間見え、「すぐやり終えるのは勿体ない」「続編がいつ出るかわからない」という理由から、ラストのボス手前でセーブをし、主人公の名前を変えて別のセーブデータで最初から再びプレイしていたという。そのため、携帯機に移行しセーブデータを1つしか作れない仕様となった「9」については、複数本所持するように対応し、それでもプレイ時間が300時間を超えるデータもあったそうだ。

さらには、仕事が無い日は徹夜でドラクエに没頭、果てはドラクエの生みの親であるゲームデザイナー堀井雄二と会った際には、「3年ごとに出して欲しい、死ぬまであと3本か4本やりたい」と訴えたこともあった。プレイのためには尽力を惜しまず、オンラインとなった「10」のためにインターネット接続を勉強したほどであった。ただし、10そのものの評価についてはかなり批判的である。

生前には、「プレイできるのは10まで」と話していた彼女であったが、実際にその通りになってしまったのは非常に惜しいものである。しかし、「なんで赤の他人と一緒にやらなきゃならないの?」「ドラクエは一人でやるもの」という主張が通じたのか、彼女の死後に発売された「11」はオフライン作として復活することとなった。また、亡くなった翌年には、彼女がシリーズ中最も好んでいた「8」がリメイク作として発売された。まるで、ドラクエ愛に満ちた彼女を偲ぶかのような展開である。

「私は常に”勇者”でいたい」という生前の彼女の言葉は、本当に通じているのかもしれない。

【参考記事・文献】
淡路恵子さん ドラクエ好きだった…最後のボスは残し、一から
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/01/11/kiji/K20140111007367110.html#goog_rewarded
大女優の意外すぎる趣味!?淡路恵子さんはドラクエが大好きだった!
https://entertainment-topics.jp/31478#headline_989951
淡路恵子の最後を長男・島英津男が語る!
https://anaenta.com/awajikeiko/
淡路さん通夜しめやかに 祭壇は“ドラクエ”で居間を再現
https://www.oricon.co.jp/news/2033188/full/

【文 ZENMAI】

画像 ウィキペディアより引用