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世界で一番勉強した!「孫正義」、桁違いの猛勉強エピソード

『ソフトバンク』グループの創業者および代表者として知られる起業家孫正義。「福岡ソフトバンクホークス」のオーナーを仕切るほか、再生可能エネルギー推進や太陽光発電事業に乗り出すなど、他の分野への展開を広げている。

在日韓国人であった実業家の父の二男として佐賀県に生まれた彼は、不衛生かつ貧しい環境で生活を送り、その幼少期には朝鮮人差別を受けていた。また小学生のころには、朝5時からサッカー部の練習をするなど熱中したものにとことん打ち込む少年であったようである。

特に、勉学に対するエピソードは語られることが多く、本人も「自分は世界で一番勉強した」と言い切っているほどである。

福岡の名門校として知られる久留米大学附設高校に入学した彼の運命を大きく変えたのは、家庭教師からすすめられた司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」であったという。

坂本龍馬と共に脱藩に憧れたことから、語学研修として高校の夏休みを利用し、4週間のアメリカ短期留学を行なった。留学から帰国後には、高校を中退して本格的にアメリカで学ぶことを決意し単身で渡米を果たした。この頃、サンフランシスコの高等学校2学年に編入することとなったが、3年生、4年生へと飛び級し、米国高校卒業検定試験に合格したため3週間で退学することとなった。

しかもその試験では、「日本語だったら試験は解ける」と主張して試験監督に辞書の使用と試験時間の延長を直談判、なんと特例として認められたのである。加えて、試験監督がダメであれば試験のガイドラインを決定している州の教育委員会と話をさせるよう詰め寄り、結局は説き伏せてしまったということだ。




その後、ホーリー・ネームズ・カレッジに入学してからの彼の猛勉強ぶりは凄まじいものであったという。取っ手のついていないドアを購入して特大の机にし、教科書・参考書・辞書などを置き、ライトを3ヶ所から照らして勉強に励んでいたという。また、トイレに行く時も、入浴の時も、果ては食事の時も教科書を手放さず、自動車の運転をしている時は講義の録音テープをヘッドホンで聞き続けていたそうだ。ずば抜けた成績により、留学生としては異例の学長賞を授与されたほどであった。

2年で全課程を終えた彼は、名門カリフォルニア大学バークレー校へ編入する。ホーリー・ネームズ・カレッジからバークレー校へ編入できるのは全体の1割という異次元であったが、その会議では彼の入学が一番に決定したと言われている。

この在学中にも驚くべきエピソードがある。当時付き合っていた女性との結婚を考えていた彼は、仕送りを絶ち自分の力で養っていかなければならないという使命感を抱いた。その時の彼は、「1日5分の仕事で1ヶ月に100万円以上稼げる仕事はないか」を思案したという。

結果、「発明をして特許を取って売る」という方法に行き着いた彼は、特許関係の本を読みあさり、実に250以上ものアイデアをメモに書き記した。1978年にはその中の一つでもあった「自動翻訳機」が共同開発されることとなった。

因みにこの時、彼は開発に夢中になりすぎてしまったせいで、自身の結婚式に遅刻をしてしまったという裏話がある。しかも、再度1週間後に改めて式の予約を入れたものの、なんとまたしても遅刻。遅刻は許してもらったものの、さらには結婚の立会人の署名が2名分必要ということを失念しており、その場にいた受付の女生徒ガードマンに署名を頼んだことでなんとか結婚することができたという。

【参考記事・文献】
孫正義の大学時代がチートすぎる件
https://oreno-yuigon.hatenablog.com/entry/2017/05/10/223857
猛勉強って素晴らしい!有名人の猛勉強エピソードを一挙ご紹介!
https://www.ohrin.jp/column/study_episode/
【現代の偉人】孫正義のスゴすぎる人生、名言を解説
https://life-and-mind.com/son-masayoshi-51537

【文 ZENMAI】

Photo credit: Danny Choo on VisualHunt.com