画像『金田一少年の事件簿 File(1) 金田一少年の事件簿 File (週刊少年マガジンコミックス)』
1992年から週刊少年マガジンで連載されていた『金田一少年の事件簿』は、テレビドラマ化もされ、現在もスピンオフ作品が発表されるなど、今なお人気の衰えない推理漫画作品だ。
主人公である金田一少年こと金田一一(きんだいちはじめ)は、作家横溝正史の生み出した探偵「金田一耕助」の孫という設定で登場し、耕助を指しての「ジッちゃんの名にかけて」は、名台詞として有名である。
だが、金田一一は本当に金田一耕助の孫なのかということについては、当初から疑問を抱く声があり現在でも議論がなされている問題であると言われている。
年齢に関して言えば、横溝正史の著作から推定すると金田一耕助の生年は1913年と考えられており、金田一一は、1992年に連載が開始した時点を基準とするとこの時に高校2年生、おそらく17歳という設定となっている。
これをもとに逆算をすれば、金田一一が誕生した時点で耕助は60歳を超えている。祖父と孫の関係で捉える分には違和感のない年齢ではあるだろう。
だが、金田一耕助は一生涯独身であったと考えられており、妻はおろか愛人の存在も作中では見られない。
可能として候補にあげられているのは、金田一耕助が惚れたことのあるたった二人の女性、鬼頭早苗(『獄門島』より)と持田虹子(『女怪』より)であるというが、早苗は島を出ようと口説く耕助に対し島に残る決心を言い放ち、虹子は最後に死を選ぶであろう結末で締め括られている。どちらからも耕助は振られており、結ばれた可能性としては低いのではないかと言わざるを得ないのだ。
もっとも、実子ではなく養子をとっていたという可能性も考えられなくはない。だが、金田一少年の事件簿の公式ガイドブックにおいてその可能性は否定されることとなる。金田一一にとって耕助は「母方の祖父」である。すなわち、耕助の子供は母親の方であり、しかもガイドブックにおいては「金田一耕助の実の娘」という旨の記載がなされているのである。
また、他の設定上でも疑問視されている点はあり、例えば金田一一は手先が器用であり、マジックはおろかスリのような技までこなすことができる。作中での金田一一によれば、推理やマジックはジッチャンすなわち耕助から教えられたものであるという説明がなされているが、当の耕助にそのようなマジックを扱うような描写は確認されていない。
とはいえ、両者ともに架空の登場人物である。元々、金田一少年の言う耕助の孫という設定は、ルパン三世(アルセーヌ・ルパンの孫という設定)から着想を得たものであると言われている。
なので、このような意見自体野暮なことであると思われる人も少なくはないだろう。金田一耕助ファンの声の中には、「独身であって欲しい」という思いが強いことも事実としてあるようである。
余談であるが、「金田一耕助」の著作権を有する横溝正史の親族からのクレームにより、漫画内でその名前の使用ができなくなったという噂も出回っていたようだが、これに関しては連載時から親族の許可を得ているということである。この一件は、金田一耕助と金田一少年の関係に絡んで生み出された都市伝説であったのだろうか・・・
【参考記事・文献】
金田一耕助の事件簿
https://www.asahi-net.or.jp/~BH3H-SMJY/rekisi/jikenbo.htm
金田一少年の受精簿
https://www.asahi-net.or.jp/~BH3H-SMJY/zuiso/kindaichi.htm
金田一耕助の年表
http://sampodo.la.coocan.jp/kindaichi/yymmdd.html
(ZENMAI 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)