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南北戦争で合衆国から独立した国「アメリカ連合国」

アメリカ連合国とは、1861年から1865年まで存在していた北米大陸の未承認共和国である。

北米大陸の北部と南部とが争った南北戦争において、アメリカ合衆国を脱退したサウスカロライナ、ミシシッピ、フロリダ、アラバマ、ジョージア、ルイジアナ、テキサスの7州からなる南部の州によって独立宣言がなされた国であり、合衆国である「北部」が勝利したことで再統一され消滅した。

南北戦争は、南北双方合わせて60万人以上の死者を出した戦争であり、史上最もアメリカ人が命を落とした戦争であると言われている。

戦争の主な要因は、奴隷制や貿易に対する南部と北部の考え方の相違にあった。南部は、広大な綿花のプランテーション農園において綿花栽培に多くの奴隷が用いられていたことから、奴隷は南部の産業にとって重要な存在であった。

一方、工業化を発展させていた北部にとっては、衣食住の面倒を見なければならない奴隷よりは一般的な工場労働者が好まれ、奴隷を不要とする世論が占めていた。

また、南部がイギリスなどの先進諸国へ綿花などの農産物を輸出しやすくするために自由貿易を求めていた一方で、北部が安価に流れ込む工業製品から自国の産業を守るために保護貿易を求めたことも要因の一つとなった。

こうして、合衆国である北部から対立する形で南部の「アメリカ連合国」は誕生することとなった。連合国の大統領となったのは、ミシシッピ州選出の元下院議員であったジェファーソン・デイビス、彼は同時に連合国歴代ただ一人だけの大統領ともなった。

だが、あまりにも急な新政府発足であったため、軍の結成をゼロから行なわなければならず、のちに南軍の一員として受け入れたミズーリとケンタッキーは公式に離脱を宣言しておらず、連合国の支配下にあったわけでもなかった。




何より、南部の鉄道や道路網は綿花の輸出経路に沿って発展していた。イギリスなどからの支援によって物資は豊富だったにも関わらず、南部は必要な場所へ物資を運搬することが困難な状況となっており、軍の補給に四苦八苦することとなってしまった。

この間、ジェファーソンは戦争を遂行するにあたって武器や物資、軍隊を統制下に置こうと考えた。政府によって、工業は規制され生産の強制や鉄道・船舶の統制がなされ、ついには政府が南部の経済を完全に支配することとなった。

また、これが成し遂げられるために官僚機構は巨大なものとなっており、南北戦争終戦時には北部よりも大きかったほどであったという。

しかし、戦争末期になるとジェファーソンによって南部でも奴隷解放の主張がなされ始めたのだ。その理由は、南部の独立のためであれば奴隷制をかなぐり捨てても良いというものであり、政府が40万人の黒人男性労働者を買い上げ、そして南部居住の承認を約束して兵士として戦わせ、同時に兵士たちの妻子も共に解放させるということとなった。

自分たちの文化・生活様式を守るために始めた独立であり戦争であったにも関わらず、戦争に勝利するために非南部的な主張に変化していってしまったというのは、ある意味で皮肉と言える。

結果として、1865年4月に首都(ヴァージニア州)リッチモンドが陥落、その後同州のダンビルに首都を移転したものの5月には連合国政府の解散が決定し、これによって4年3ヶ月という短期間でアメリカ連合国の歴史は幕を下ろすこととなった。

しかしながら、南北戦争により結果として黒人奴隷制度が廃止され、黒人は身分上奴隷ではなくなったものの、黒人差別はいまだ根深い問題として未解決となったままとなっている。また、現代でも連合国旗は州レベルの政治問題として残っており、サウスカロライナ州では州議事堂正面に今でも掲げられ、黒人の抗議も起こっている。

2020年には、連合国旗のデザインの一部を州旗に残していた最後の州ミシシッピが変更を発表し話題となった。連合国の旗の存在は「過去の悪しき週間の象徴」か「南部の伝統や遺産の象徴」かにより、現在も大きく意見は割れている。

【参考記事・文献】
アメリカ連合国
https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD
【ゆっくり解説】逆視点の世界史 第4回 アメリカ南部から見た南北戦争
https://x.gd/OLSRP
アメリカ連合国
https://www.y-history.net/appendix/wh1203-048.html

(ナオキ・コムロ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 ウィキペディアより引用