1968年7月2日、当時神奈川県横須賀市の陸上自衛隊武山駐屯地に所在していた陸上自衛隊少年工科学校において、渡河(とか)訓練を行なっていた陸自生徒たち13名が水死する事故が起こった。この事故は、「少年工科学校渡河(とか)訓練事故」あるいは訓練された池の名をとって「やすらぎの池殉職事故」とも呼ばれている。
梅雨真っただ中であったこの日の天候は大雨。訓練場で行なわれるはずだった訓練が指導教官の思い付きで急遽予定が変更され、通称「やすらぎの池」と呼ばれる人工池で渡河訓練が行なわれることとなった。
この池は、航空自衛隊のナイキ基地の防護堤を築くために土砂を掘った場所へ水が溜まってできたものであった。事故があった当時は、雨の影響で水かさが30センチメートル以上も増しており、池の底は沼地のように混濁していたという。
水位が上がった池を川と見立てた渡河訓練は急遽決行され、少年工科学校3学年12期生(当時17歳~18歳)のうち78名がこの訓練を受けていた。生徒の服装は、作業衣に弾帯を付け半長靴を穿き、M1ライフル銃を背負う形の武装をしていた。生徒たちは隊形を組み、池の北側から隊形のまま一斉に入水することとなった。
しかし、先頭グループが池の中ほどへ差しかかったところで溺れる生徒が出始め、次第に次々と同様に溺れる生徒たちが増えていった。教官たちは事態の重大さに気付き、岸にいた者たちへ救助の指示を出し、自分たちも池に入って救助活動を行なった。
その後、副校長をはじめ幹部や教官などが現場に到着し、海上自衛隊横須賀地方隊の隊員の応援も加わり総勢500名もの人々によって救助活動は続行された。しかし、最終的にこの事故によって13名もの生徒たちが帰らぬ人となってしまった。
事故が起こった背景として、訓練の予定を急に変更したことについての教官の判断の甘さも指摘されていたが、「銃は死んでも手離してはいけない」という教育がなされていたために、重量のある銃を持ち続けたこともあって溺れた生徒たちがパニックとなてしまったのだろうという証言もあった。
犠牲者の中には、岸までたどり着くも再び救助のために飛び込み、そのまま命を失った生徒もいたという。現在、現場となったやすらぎの池は埋め立てられ慰霊碑が建てられているという。
因みに、2012年ごろ大型掲示板にて奇妙な書き込みがなされている。それによると、埋め立てられた池の場所に何度か建物を建てようと計画されたが、そのたびに必ず作業員がケガをするなどして中止になっているという。また、毎年7月2日に行われる慰霊祭の前日には、工科学校の生徒がおかしくなるというようなことがたびたび起こっているというのだ。
この話の真偽は定かではない。いずれにせよ、年が明ければ各地の部隊へ赴任するはずであった多くの生徒たちが犠牲となった、なんとも悲しいことである。
【参考記事・文献】
悲しい日
https://ameblo.jp/jtkh72tkr2co11tk317co/entry-12608453184.html
7月2日は少年工科学校で13名殉職した日
https://ameblo.jp/jtkh72tkr2co11tk317co/entry-11886902981.html
【少年工科学校殉職12期生13名のご冥福を祈る】52年前の昨日、神奈川県横須賀市にある陸上自衛…
https://go2senkyo.com/seijika/20436/posts/149507
少年工科学校渡河訓練事故【ゆっくり朗読】5600
https://kowaiohanasi.net/yasuragino-ike
【アトラスラジオ関連動画】
(ナオキ・コムロ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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