オーパーツ

世界の七不思議の一つ「オリンピアのゼウス像」は実在したのか?

ギリシャ神話における全知全能の神と呼ばれるゼウス。マケドニア王妃であったオリュンピアスが、息子であるアレクサンドロス(のちの大王)をゼウスの子であると流布していたという逸話も残るほか、信仰が浸透していた当時の王たちがこぞって「ゼウスの子孫」であることを主張するほどに象徴的な存在であった。

かつてゼウスの彫像が建造されていたと言われている。ギリシャのペロポネソス半島にあるオリンピアは、都市と呼べる土地ではないが、古代オリンピックの開催地とされていたため聖域と見なされ保護されていた。

紀元前5世紀の後半、オリンピアにゼウス神殿が建設され、それと同時に古代オリンピックにおける奉納競技の本尊としてゼウスの彫像建造が彫刻家へ依頼されたのだ。依頼を受けたのは、パルテノン神殿の建設で総監督を務め、またその本尊であるアテナ像製作などを手掛けたとして、偉大な彫刻家と呼ばれたペイディアス(フィディアスなどの表記あり)であった。

当時のいくつかの記録によると、ゼウス像は高さ40フィート(およそ12メートル)の座像であり、本体は杉を骨組みとして表面を象牙で覆い、表面の乾燥を防ぐためにオリーブ油が常に流布されていたという。玉座もまた、像と同じく金や象牙のほか黒檀(こくたん)や宝石で彩られていた。




ゼウスの右手には女神ニケの彫像、左手には鷲の止まる錫杖(しゃくじょう)が持たされ、頭にはオリーブの芽を模した花輪、まとうローブには動物や百合の花の刺繍が施されていたという。高さもさることながら、像はその収容する神殿の幅半分を占めるほどであり、当時の地理学者ストラボンは「ゼウスが立ち上がれば神殿の屋根が壊れてしまうだろう」と述べていたそうだ。

しかし、この巨像は現在残されてはいない。建造からおよそ800年が経過した394年、キリスト教の信仰が拡大していく中で当時の王テオドシウスにより、ゼウスをはじめギリシャ神話の信仰は異教と見なされ、崇拝が禁じられ神殿も焼かれてしまった。これに伴い、ゼウス像はコンスタンティノプールに移送されることとなったが、その後ゼウス像は行方知らずとなってしまったという。

一説には、火災によって焼失してしまったとも言われている。一方で、ペイディアスがどのようにしてゼウス像を制作したかについての情報があまりに少なく、職人たちのチームで作業されたこと以上の情報が見受けられず、そもそもそのような巨大な彫像が本当にあったのかという議論もなされている。

1958年、ドイツのある考古学者がゼウス神殿近くで工房とされる場所を発掘したと話題になり、ゼウス像の真相解明に何らかの進展が得られるのではないかと期待が寄せられた。しかしその後、この工房から発見されたという道具や陶器などの中に、碑文が刻まれたものもあったのだがそれらは捏造であったということが判明した。

結局それ以降は、新たな進展が見られないままゼウス像の真相も謎のままとなっている。こうした経緯を含め、オリンピアのゼウス像は世界の七不思議の一つとして語られている。

【参考記事・文献】
オリンピアのゼウス像
https://x.gd/4blLC
フィディアスが制作したゼウスの像:場所、歴史、説明、遺跡
https://ereshkigar.hatenablog.com/entry/2022/04/25/125153
オリンピアのゼウス像:失われた驚異
https://jacyou.com/tory/statue-zeus-olympia/
Museology, Classics and Lies: 3 Case Studies from the Museum of Olympia
https://medium.com/ostraka-a-durham-university-classics-society-blog/museology-classics-and-lies-3-case-studies-from-the-museum-of-olympia-bde64bd3a183

(ナオキ・コムロ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 ウィキペディアより引用