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一人のソ連軍人が核戦争を阻止した?!「ヴァシーリイ・アルヒーポフ」という男

歴史上「危機」と呼ばれる事態は数多いが、最も重要とされる危機と言えば1962年の「キューバ危機」だろう。

わずか13日間という短期間に起きたこの事態は、カリブ海西に位置する共和制国家キューバを舞台にした、核戦争一歩手前とも言われるほどに緊迫した出来事である。

時代は冷戦のまっただ中。アメリカ空軍の偵察機によって、ソ連がキューバに弾道核ミサイル配備を秘密裏に進めていたことが発覚、その後アメリカの偵察機がソ連によるミサイルで撃墜、海上封鎖のキューバ海域に向かうソ連の潜水艦をアメリカが爆雷など、一触即発となる事態が続いていた。結果的としてキューバ危機は、アメリカとソ連がそれぞれトルコとキューバに配備していたミサイルを撤去・解体することで第三次世界大戦の危機は回避された。

キューバ危機は、キューバのミサイル基地発覚の際に当時アメリカ大統領であったジョン・F・ケネディが、「空爆」「海上封鎖」のいずれかで頭を悩ませ、結果的に海上封鎖を選択したことで戦争が回避されたのだと見なされている。だが、核戦争を阻止した英雄として語られている人物は別に存在していた。その人物とは、ソ連海軍の軍人ヴァシーリイ・アルヒーポフである。

1962年10月、核兵器の発射台を備えた4隻の潜水艦がキューバへ向かっており、アルヒーポフが乗る原子力潜水艦B-59もそのうちの一隻であった。彼は副館長としてキューバ近海に侵入したが、有事あらばアメリカに核攻撃を行なうミッションが与えられていたという。


10月24日、アメリカからキューバ近海の海上封鎖とその付近に潜む潜水艦の強制浮上のために爆雷を投下するとの通告がソ連へなされた。27日、通告通りアメリカ軍による爆雷が投下されたのだが、それから逃れるために深い深度で移動していたB-59がモスクワからの電信を受信できなくなってしまった。

B-59の艦長バレンティン・サビツスキーをはじめとした将校たちの緊張状態はピークに達し、すでに戦争が始まっているのではないかと考えた末、アメリカに核攻撃を行なうべきかの話し合いが行なわれた。艦長を含めて他がみな賛成を唱える中、アルヒーポフただ一人が「モスクワからの指示が確認できない状況で、衝動的行動はすべきではない」として拒否したのだ。

結果、アルヒーポフは艦長を説得しB-59は海上へ浮上、その後モスクワからの無線によって帰還を命じられることとなった。

アルヒーポフは、人類を滅亡から救った人物と称されているが、彼は1961年にも、乗船する原子力潜水艦で発生した冷却システム漏れによる、臨界事故の発生を防いだ経験もあった。この時、作業に当たっていた乗務員が死亡していたことが、危機回避に対する彼の信念をより強めたことは間違いない。

緊迫した状況下における慎重で冷静な判断は、結果的に彼や周囲の仲間のみならず世界も救ったといえるだろう。

【参考記事・文献】
核戦争から世界を救った男
https://inpsjapan.com/news/politic-conflict-peace/the-man-who-saved-the-world-from-a-nuclear-war/
世界を核戦争から救った男 ヴァシリィ・アルヒーポフ
https://reki.hatenablog.com/entry/170919-Hero-War-Crisis
キューバ危機(1962)はなぜ回避できたのか?
https://web.iss.u-tokyo.ac.jp/crisis/essay/1962.html
キューバ危機をわかりやすく解説!核戦争を回避したケネディ大統領
https://america-info.site/cuban-missile-crisis

(黒蠍けいすけ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 ウィキペディアより引用