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その称号はキング・オブ・クズ?!詩人「石川啄木」ゲスエピソードの数々

「働けど 働けどなほ 我が暮らし 楽にならざり ぢっと手を見る」
「東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」

などの短歌で知られる、岩手県出身の歌人・詩人として宮沢賢治と共に語られることのある石川啄木。結核により26歳という若さで亡くなったが、庶民的な生活苦などを代弁するかのようなその詩や歌は、多くの人を魅了している。

そんな啄木であるが、今ではその人間性にかなり問題のある人物であったという点が強く指摘されている。

“実は裏ではとんでもない人だった”、という話は思った以上に歴史上の偉人には多い。音楽家モーツァルトは下ネタが大好きであり、そのような歌曲まで作っていたことは有名であるし、思想家ルソーは道を歩く少女たちに下半身を出して見せつけたほどの露出狂、発明家エジソンに至っては宿敵テスラに対するネガティブキャンペーンのために電流で動物を殺し電気椅子による死刑執行の支援も行なっているなどさまざまである。

しかし、日本の特に文学に関わる人物のうちでも、石川啄木のいわゆる”クズ”エピソードはなんとも痛々しいものだ。

「たはむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず」

母の衰えに涙したというなんとも心に訴えかけるような歌であるが、啄木の妹の証言によれば、彼は母親を背負うようなことはなかったという。それどころか、饅頭が食べたいと言って母親に作らせたところ、出来上がったころには「食べる気が失せた」からと、母親に饅頭を投げつけたといったわがまま者であった。

この時点で、歌の内容と詠んだ当人とのギャップが甚だしい。




また、彼は結婚もしていたが、小説を書いても評価されない悶々としている日々のさなか、「自由な環境では無ければ書けない」との理由で、家族を友人に預けて放置し続けた。さらに、嫁姑問題によって奥さんが家を出ていった際でも、特に気にかけるようなことはなく、それどころか友人からの借金や給料の前借りで女遊びに暮れていた。

この事情は啄木自身がつづった『ローマ字日記』に記されているが、容易に他人に読まれることを防ぐためにローマ字で書いたその日記も、実際は才女でもあった奥さんは簡単に読めていたのではないかとも言われている。因みに、詳細は不明であるが彼は結婚式を欠席しており、新郎不在のまま式が行なわれたという。

さらに、彼と交友のあった人物の中で特に言語学者であった金田一京助は、啄木の才能を見抜いて金銭の援助までしていたほどの恩人であった。ところが、啄木は「芸術家たるもの孤独であるべき」という信念を突如として抱きなんと金田一と絶交、それどころか日記に彼の悪口を散々に書きつけるという暴挙にまで出た。啄木はローマ字日記に、「決して人に自己を語るな」「常に仮面をかぶっておれ」と記している。

天才とも称されたその繊細な描写を組んだ歌や詩は、現実の人間性を覆い隠したまさしく彼なりの思想の体現であったのだろうか・・・ただ、これほどにクズとも言えるエピソードがありながら、彼が結核で倒れた際は多くの人が見舞に訪れ見舞金も送られていたほどに交友は広かったようだ。迷惑を被っていたであろう人々の思いを、本人はどう思っていたのだろうか。次の歌に、真意のヒントがあるかもしれない。

「一度でも 我に頭を 下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと」

【参考記事・文献】
女・借金・サボり…石川啄木はクズでゲスの極みだった(天才だけど)。
https://zatsugaku-company.com/ishikawa-takuboku-gesu/#st-toc-h-13
【文豪三大クズ】石川啄木エピソード|借金生涯・ローマ字日記の内容
https://ks-novel.com/ishikawa_takuboku_-episode/-/55085/.html
愛すべきゲス!石川啄木のエピソードが面白い
https://www.cobalog.com/entry/ishikawatakuboku

(ZENMAI 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 ウィキペディアより引用