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大帝国を築いた英雄「アレクサンドロス大王」の墓はどこにある?

歴史的偉人の遺体や墓が所在不明となっている例は、日本のほか世界でも多く見受けられる。それが、クレオパトラやチンギス・ハン、ネフェルティティといった古い時代の人物であればなおさらである。紀元前300年代、地中海からインドに跨る広大な大帝国を築いた、かのアレクサンドロス大王もその一人だ。

古代ギリシアの国の一つ「マケドニア」の王であったアレキサンドロス大王は、ギリシア統一したのち東方遠征に乗り出し、ペルシア、エジプト、そしてインドなどの国々を制圧し支配下においた、世界史上最も成功した軍司令官とも称されている。

彼は、紀元前323年に32歳という若さで亡くなり、エジプトのメンフィスに埋葬され、その後彼の名を冠した都市アレキサンドリアに運ばれたとされている。

だが、その後クレタ自身による津波や度重なる地震、そして海面上昇といった自然の脅威にさらされ続け、大王の墓は埋まってしまい、時代と共にその場所がどこであったのか忘れ去られていった。これまで、大王の墓と目された場所は100を越えているが、いずれも確証が得られないままに終わっている。もし大王の墓が発見されれば、ツタンカーメンの墓に匹敵する世紀の大発見になるだろうとも言われている。


2019年には、ギリシアの考古学者カリオペ・リムネオス=パパコスタによって、古代都市にあった王家の住居の一画が発掘された。これは、アレクサンドリアの初期の土台部分が初めて見つかったとして一大ニュースとなったのだ。大王の墓の存在が強く確信されたものの、現在まで大王の墓そのものは発見されるには至ってはいない。

このほか、エジプトのシワにある神アメン・ランの神殿に埋葬されているという説や、同じくエジプトのメンフィス近郊にある地下墳墓セラペウムに埋葬されているという説など、さまざまな説が共に唱えられている。その中でも特筆すべきは、 作家アンドリュー・チャグによって提唱されたヴェネツィア商人に盗まれたという説である。

彼の主張によると、当時アレキサンドリアには新約聖書の「マルコによる福音書」の著者と言われる聖マルコの墓が存在しており、その聖マルコの墓の出現が大王の遺体が消えたのと同時期であったという。この時、ヴェネツィアの商人が大王の墓を聖マルコの墓と間違えて大王の遺体を盗んだのではないかというのである。つまり、現在聖堂で崇拝されている聖マルコの遺体が、実は大王の遺体なのではないかという。

アレクサンドロス大王の墓の所在は、世界史における最大のミステリーの一つとされている。果たして、その所在が明らかになる時はくるのだろうか。

【参考記事・文献】
墓が見つかっていない世界史の超有名人物10人
https://reki.hatenablog.com/entry/220328-Tomb-Not-Found
After Millennia Of Searching, Archaeologists Believe They Have Located Alexander The Great’s Tomb
https://ncgovote.org/ja/after-millennia-of-searching-archaeologists-believe-they-have-located-alexander-the-greats-tomb/
21年の執念 なるかアレクサンドロス大王の墓発見
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42161690X00C19A3000000/

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(ナオキ・コムロ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 ウィキペディアより引用