1987年から90年にかけて、赤報隊(せきほうたい)を名乗る人物によって、主に朝日新聞を標的としたテロ事件が立て続けに発生した。記者が政治的テロによって殺害された国内唯一の事例とされ、言論機関、政財界を震撼させた戦後最大のミステリーとも呼ばれるこの事件は、2003年3月にすでての関連する事件の時効が成立し、犯人もわからぬまま未解決の事件となった。
87年1月24日、朝日新聞東京本社の窓ガラスに2発の銃弾が撃ち込まれた。その後の5月3日、阪神支局にて黒い目出し帽をかぶった男が散弾銃を発射、勤務中の記者1人が死亡し、1人が重傷を負う惨事となった。
この襲撃の直後、「赤報隊」を名乗る人物から「すべての朝日社員に死刑を」「反日分子には極刑あるのみ」といった過激な犯行声明が送られた。これにより一連の事件は、「赤報隊事件」という名でこんにち広く知られるようになった。
その後、竹下登首相(当時)や中曽根康弘前首相に対しても靖国参拝に絡んで脅迫状を郵送、朝日新聞に広告を出していたとしてリクルート本会長宅を銃撃、さらには韓国の盧泰愚大統領(当時)来日に反対し愛知韓国人会館を放火といった、テロ活動を図った。そして、この放火事件を最後にテロ集団は、突如世間から姿を消したのである。
赤報隊とは、元々幕末から明治新期に登場した、有志たちによって自費で結成された隊の一つであり、戊辰戦争において新政府軍に加わっていた。この赤報隊事件は、反日いわゆる左翼的メディアや言論に対する攻撃であったこと、そしてこの事件よりも以前に、赤報隊と関連しているとされる「日本民族独立義勇軍」と称する団体による放火事件もあったことから、右翼グループが犯人であると見定められ捜査が展開されていた。
だが、右翼による犯行という点については、一部で疑問視もされている。
かつて右翼団体会長であった鈴木邦男によると、右翼は明確に自分の主張を訴える存在であり、逃げることはまず考えないという。赤報隊事件では、犯人が明確に逃げ道の確保をしてからテロを決行しており、また犯行声明についても自らの具体的主張が見られないことから、「右翼らしさ」が見られないというのである。
さらに、阪神支局襲撃の際には、的確に目標へ銃撃し素早く逃走するという専門の訓練を受けていたと思しき様子が見て取れるとし、右翼にはそうした武装訓練や技術を身に着ける環境は全くなかったという。すなわち、犯人が右翼とは考えられないという。
このことを裏付けるかのような犯人像を推理する説がある。安倍元首相の銃撃事件以来話題となった統一教会が、この事件に関与していたのではないかという。赤報隊事件が起こっていた当時、メディアでは霊感商法への批判が増えつつあり、その急先鋒が朝日新聞であったという。
当時は、スパイ防止法案の制定を巡って、統一教会を母体とする「勝共連合」という組織による朝日新聞への攻撃もあったという。
赤報隊事件は右翼の仕業に見せかけたテロであったのだろうか。朝日新聞における主張や思想には、これまで問題があるものが多く見られたのは確かであるが、武力によってそれらを弾圧することは、決して許されることではない。
【参考記事・文献】
文春ムック『昭和平成「怪事件の真相」47』
別冊宝島編集部『昭和・平成「未解決事件」100』
赤報隊事件の真相と犯人!なぜ朝日新聞を狙った?統一教会など真犯人説・誤報・その後現在までわかりやすく解説
https://wondia.net/sekihotaijiken#i-11
(黒蠍けいすけ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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