画像『ハイスクール!奇面組 20 (ジャンプコミックスDIGITAL)』
『奇面組』は、漫画家新沢基栄(しんざわもとえい)原作の週刊少年ジャンプに連載されていた漫画の連載シリーズである。
主人公一堂零をリーダーとした、強烈な顔面の個性を持つ仲間達とそれを取り巻く多くのキャラクターたちが織り成すドタバタのコメディギャグ漫画であり、中学校を舞台にした『3年奇面組』ののち、高校進学に伴って『ハイスクール!奇面組』そして『フラッシュ!奇面組』などが連載されて、ジャンプの黄金時代における人気作品の一つとして知られている。
およそ7年近く連載をしていた奇面組は、1987年にその連載が終了した。しかし、本作品の最終回はその公開直後から、大きな騒動へ発展することとなった。
5年後が舞台となった中盤、ヒロインの河川唯(かわゆい)が社会人として生活していたその時、一堂零が自転車で通りかかった。零は唯を自転車に乗せ、心地よい風を浴びながら唯は目を閉じ、しばらくして目を覚ますとそこは、なんと中学校の教室であったのだ。
この結末は、奇面組のストーリーそのものが唯の空想、もしくはうたた寝の最中の夢であったという、いわゆる「夢オチ」として語られるようになり、賛否両論、いやむしろその過半数を否として受け取られるに至った。これについて作者は「正直、夢オチと言われるのは心外」だと回答しているといが、「物語が台無しだ」という抗議があまりに殺到したため、愛蔵版では描写に若干の変更がされたほどであった。
作者の意図として、この結末は「夢オチであったのか」それとも「正夢となるのか」といった”その後”の考察を促すものであったと言われている。すなわち、ドラマ『高校教師』(1993)のラストにおいて、電車に乗る教員の羽村と高校生の繭に対し様々な解釈がもたらされるかのごとくに・・・
当然ながら、当初から「夢オチ」であることを否定していたファンも少なからずいた。彼らにとってみれば、愛蔵版の変更も蛇足であると主張する。だが、現実として夢オチという一方の見方に多くのファンが偏ってしまったことから見れば、作者の目論見は明らかに失敗であった。
おそらく、その意味では出会いの直前から始まるという「正夢」をかもす愛蔵版の変更も、解決とはならない。なぜなら、それも一方の指示に偏るに留まり、作者の意図とはかけ離れてしまうからである。加筆変更が、作者が納得した上で行なったかははなはだ疑問である。
こうした一連の「夢オチ」騒動であるが、実は連載開始からすでに予見されていたのかもしれない。思い返せば、主人公の名は「一堂零」だ。この名前は、「一同、例」をもじったものではあるが、一堂は場所やメンバー、零はゼロ、すなわちメインメンバーの関りはゼロに帰するということが、主人公の名に暗示されるのである。
【参考記事・文献】
奇面組の最終回を夢オチという奴は想像力がなさすぎる!
https://nomore-suicide.com/high-school-kimengumi
『ハイスクール!奇面組』の最終回は「すべてが夢だった」。唯はどれだけ濃厚な夢を見たのか?
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/03022080492ea68ce7dbeb8a1886031ed704425b
「ハイスクール!奇面組」原作の最終回について、約30年目の新たな発見
https://hiroko01.com/archives/4707
(ZENMAI 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)