1月14日、綾瀬はるか主演の映画「本能寺ホテル」が封切られた。京都のホテルに宿泊した繭子(綾瀬はるか)は「本能寺の変」直前にタイムスリップし、織田信長(堤真一)と会ってしまう。だが、その日は折しも本能寺の変が起きる直前だった…という歴史エンターテインメント大作だ。
本能寺の変は日本史の中でも一二を争うほど、謎に満ちた事件だ。世の中では、明智光秀が本能寺にて信長を殺したという説が定説とされている。だが、その背後にはどす黒い陰謀が眠っている。まず、光秀犯人説の証拠に、本能寺の前日に光秀が読んだ歌がある。
「時は今、あめが下しる、五月かな」
これは土岐氏の流れを汲む光秀が、雨=天下をとる決意だという。だが、当時の歌会はサロンであり、信長の知人・友人も多い。そんな場所で殺害予告をする馬鹿はいない。
また、本能寺の前日に、光秀は吉と出るまでおみくじを引き続けたのも怪しいと言われるが、出陣の前にくじをひくのは武将ならあたりまえ、信玄は不動明王、細川家は飯綱権現、上杉家は毘沙門天などで祈願、おみくじをひく行為をしている。良いのが出るまで何度もひくこともゲン担ぎの武将にはあることである。
更に観修寺晴豊という貴族の日記に、京都を引き回される光秀の部下・斉藤を見ながら「かの者と信長暗殺の謀議をした」という記述がある。故に朝廷と光秀の共犯による信長の殺害であるとされている。だが、この時期の日記に関して、多くの貴族が日記を破棄している。
本能寺当時の日記を大部分の貴族が巻き添えを恐れ破棄しているのに、晴豊のみ残している。まるで、光秀を犯人にしたて上げる為の証拠にするかのように。
しかも、日記を書いた本人である晴豊にはなんのお咎めもない。さらに晴豊は秀吉のよき友人であるのだ。更に光秀は信長を恨んでいたというのは江戸期に創られた話で、二人の関係は良好であった。
事件当時、信長は光秀を最も信頼しており、馬揃え(現代の閲兵式)では家臣の筆頭として光秀が号令をかけている。
また光秀は既に老境の身であった。明智光秀は当時57歳、平均寿命を超えている、今でいうと80歳近い老人である。その老人が天下を狙うかどうかが問題である。また、暗殺は密かにやるものである。本能寺で信長が殺されたが、京都の衆人監視のもと、大軍で襲っている。誰が好き好んで「自分がやった」と丸わかりの暗殺劇を演出するだろうか。
もし、頭脳明晰な光秀が信長を暗殺するなら、忍びや乱破を雇い、極秘裏に襲撃するのではないか。本能寺の手勢はせいぜい70騎から100騎、乱破300名で襲撃すれば十分に勝算はあるのではないだろうか。
では、信長を殺したのは誰なのかという問題が出てくる。殺人事件において、犯人は事件によって最も得をした人物が怪しい。つまり、信長の死後に天下が転がり込んだ秀吉が怪しい。更に秀吉の動機だが、事件当時、信長家中は天下統一が進み、武闘派よりも文官派が幅をきかせつつあった。
秀吉など武力オンリーの連中は、この状況に危機感を募らせていた事があげられる。つまり、リストラへの恐怖から上司を襲ったのではないか。その点、文武共に優秀な光秀は困ることがなかった。
そもそも、秀吉の帰京する異常なスピードは不審だ。本能寺の変の後、秀吉が岡山の高松城から200キロの行程を5日で還ってくるのだ。これは予め、馬や食料などを街道沿いに準備していたのではないか。
歴史のミステリーは、永遠に解けない推理小説なのだ。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)
※画像 ©PIXABAY