事件

模倣する事件も発生した戦後最大の未解決事件「グリコ・森永事件」

1984年から85年にかけて起こった連続企業恐喝事件、通称「グリコ・森永事件」は、「かい人21面相」を名乗る人物によって江崎グリコや森永製菓などの大企業を標的とし、毒物を仕込んだ上で巨額な金銭を要求するという戦後の犯罪史に残る大事件である。

企業への脅迫文やマスコミへの挑発文などにより、「劇場型犯罪」の幕開けとも呼ばれるこの事件は、多くの犯人像が考えられたものの多くの謎を残したまま未解決となった。

84年の3月18日、江崎グリコの社長が自宅で入浴中、3人組の男たちが侵入し誘拐され、グリコに脅迫状が突き付けられた。その内容は、現金10億と金100キロという桁違いのものであったが、誘拐から3日後に社長が自力で脱出したことで、身代金は奪取されることはなかった。しかし、その後犯人たちは社屋の放火、そして製品に毒物を混入するという脅しを続け、そのたびに金銭を要求した。


幾度もの受け取りにおいて、犯人たちが現金を手にすることはなかった。しかし、その一方で警察もなかなか追い詰めることができずにいた。

84年11月ごろ、「かい人21面相」と名乗る人物がマスコミ宛に挑発状を送り始め、その後丸大、日本ハム、森永などをターゲットとして、各所で毒入り菓子の置き去りが報告されることとなった。この間、この事件で最もよく知られる「キツネ目の男」が不審人物として浮上したのだが、警察が犯人グループの一斉検挙に固執し、個別の事情聴取に制限をかけていたことから2度も見逃すこととなった。

だが、事件は思いもよらぬ形で終焉する。

11月、警察による囮作戦を知らされていなかった滋賀県警が、犯人の疑いのある不審者を取り逃してしまったのである。翌年の8月、滋賀県警本部長が定年退職したその日、その失態の責任を重く見た結果であろうか本部長公舎で焼身自殺を遂げた。そしてこの5日後、かい人21面相は挑戦状にて自殺した本部長に触れ、突如として終息を宣言した。

事件は、犯人が特定されないまま捜査が続けられた。その過程で、犯人により乗り捨てられた盗難車から採取された特殊な金属片に基づく産業廃棄物業者の洗い出し、山口組系の元組長と関係者の強制捜査、そして、事件の6年前に江崎グリコ役員宅へ郵送された事件の予告ともとれるテープの声から元北朝鮮工作員男性の発見、といった捜査が行なわれたものの、結局犯人とつながる証拠は得られなかった。

グリコ・森永事件において、犯人は一切現金を手にすることは無かったが、これは受け取りの失敗ではなく初めから目的ではなかったと言われている。一連の毒物混入によって脅迫された企業各社は大きな損害を被っているということから、この事件は株価を操作することで利益を得ることが目的だったのではないかとも考えられている。




その一方で、良からぬ噂も立つこととなった。それは、この事件が「ロッテによる仕業」であるというものである。

多くの食品企業が脅迫状の標的となる中、ロッテはその標的とはならなかった。それに加えて、ロッテが外資系企業であったということも重なり、日本企業を業績不振に陥れ、日本でのシェアを伸ばす策略だったのではないかと言われている。しかしながら、毒入り菓子がばらまかれた際その中にロッテ商品も含まれていたため、信憑性はない。

また、これはお菓子業界を巻き込んだ利権関係にまつわるという説もある。作家の山口敏太郎によれば、お菓子業界の創業者は「山の民」でなければならず、お菓子の行商をするにも山の民の血縁でなければ許されないという利権が存在していたとの説をもとに、グリコ・森永事件ではそのネットワークにグリコや森永などが金を支払わなかったために、見せしめに攻撃されたのではないかと仮説を立てている。

この事件が、犯罪グループによる利益収奪であったのか、それとも業界を巻き込んで仕組まれたものであったのか、真相は現在も闇に包まれたままだ。

【参考記事・文献】
別冊宝島編集部『昭和・平成「未解決事件」100』
(グリコ森永事件の陰で)ロッテの大罪!
https://ameblo.jp/mitsuhide2007/entry-12686200649.html
【真相に迫る】グリコ・森永事件とは?事件の経緯や影響、犯人像も解説
https://rekisiru.com/10734

(黒蠍けいすけ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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