1991年(平成3年)、徳島県美馬市の武家屋敷「鎌村熊太邸」にて屋根裏の改修が行なわれた際、その一角に奇妙な物品があるのが発見された。
鎌村家の伝えによると、幕末のある時「才谷」と名乗る土佐の郷士がこの屋根裏に滞在していたと語り継がれており、のちの調査でこの人物が坂本龍馬であることが判明。
文久2年の2月半ばから下旬、龍馬が脱藩する1ヶ月ほど前のこと。彼は土佐勤王党の盟主である武市半平太の命を受けて、長州・関西の諸藩の情勢を探っている旅から帰る途中、鎌村家に立ち寄ったという。鎌村家は、徳島藩の筆頭家老稲田家の山奉行・漢方医であったという。龍馬は讃岐琴平の勤王家・美馬君田(くんでん)から鎌村熊太を紹介する状を受け取り、訪れた。
その目的は勤皇活動の資金調達だった。
豪商であった鎌村家はこれを承諾し、彼に隠し部屋を拵えた。この間、龍馬は「才谷梅太郎」という名で逗留(とうりゅう)していたという。一説では、この滞在期間中に龍馬は、熊太が横井小楠(しょうなん)から教授された幕政改革方針「国是七条」の草案を説かれ、これがのちに龍馬の新国家体制方針「船中八策」の原案になったと言われている。
さて、発見された品々は古いランプや番傘、そして畳まれた掛敷布団とさまざまであった。その中でも注目されたのが、木造の便器(おまる)であった。屋根裏改修での発見当初、形が崩れた手桶のようなものには、底に藁が敷き詰められており、白く変色した薄茶色の何かが盛られており、正体がなんであるのかわからなかった。
その手桶は家の外へ置かれたままその日は忘れられ、翌日見てみるとその物体がやや溶けたように柔らかくなっており、鼻を近づけてみると人糞であったことがわかった。崩れた手桶の正体は、なんと便器だったのである。その後もしばらく屋外で放置された末、人糞は粉々に砕けて跡形もなく消滅したという。
現在、この隠し部屋は事前の申し込みの上見学が可能となっており、かつて龍馬が使用したであろう布団やランプも見ることができるという。便器については、廃棄されたとも言われているが、残骸が現存しているとも言われ、判然としていない。
【参考記事・文献】
山口敏太郎『日本史の都市伝説』
驚愕!坂本龍馬の携帯便器や布団が現存
https://4travel.jp/travelogue/11086734
これが坂本龍馬が脱藩前に使用した布団と枕だ!
https://ameblo.jp/kochi-romp/entry-11079539395.html
坂本龍馬使用の便器や布団が見学できる!
https://ameblo.jp/kochi-romp/entry-10511204700.html
(ZENMAI 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 ハダシスト / photoAC