故事として知られる「元の木阿弥」は、良くなったものが元の状態に戻ってしまうという意味の言葉である。これは、戦国の武将筒井順昭(じゅんしょう)がその死を隠すために影武者として用いた木阿弥という盲人に由来すると言われている。
死の直前、順昭がその息子である順慶が成長するまでの時間稼ぎとして姿が似ている僧侶木阿弥を起用、木阿弥はしばし不自由のない贅沢な生活を送っていたが、のちに順昭の死が公表されたことによってお役御免となり、元の生活に戻ってしまったという。
しかしながら、この逸話はそもそもフェイクではないかという見方がなされている。この言葉の語源は他にも説があり、「妻と離婚して出家し修行に励んだ僧木阿弥が、年老いて心身が弱ったころ元の妻の元へ戻ったことに由来する」というものや、「椀の手塗りが剥げて木地が現れ木椀(もくわん)に戻った」ことから「元のもくわん」が転じてできたという説まである。諸説があるという時点で、影武者木阿弥説は怪しいと見るのは当然だろう。
影武者を由来とした「元の木阿弥」は、戦国期大和の諸将諸氏の出自や家系、説話などを記した『和州諸将軍伝』(1707)の記載によるものだと言われている。多くの戦国の史料が欠如している中で、当時を知る貴重な史料とされているこの伝記では、前半が筒井一族の記述となっている。
しかし、実はこれ以前に「元の木阿弥」を題材とした話が文献で残されているのだ。井原西鶴が確立した浮世草子よりも以前にあった仮名草子、その中に『元のもくあみ物語』(1680)という話が存在する。作者不詳となっているその内容は、木阿弥という主人公が、東海道見物をして江戸に下り、大金を手に入れて栄耀の限りを尽くすが、実はそれは全て夢であったというオチで締め括られている。『邯鄲の夢』のオマージュともとれるこの夢オチ話が、「元の木阿弥」の原話である可能性は高い。
なぜこの話が、筒井順昭の影武者の話につながったのかは定かではない。彼の死の公表は、1年~3年経ってからなされたと言われているが、奈良興福寺の僧・英俊をはじめ三大に渡り書かれた『多門院日記』(1478~1618)には、順昭の死去のわずか3日後の日付で順昭死去の記述がなされている。ただしこれは、情報が洩れて一部の幹部だけが知っていたのではないかとも考えられる。
当時の武将という立場から、影武者が立てられることは珍しいことではない。少なくとも、その死を隠そうという意図は少なからずあったかもしれないが、果たして影武者自体が存在していたのかも怪しい。何より、影武者の中でも木阿弥のパターンは、顔が似ている全くの赤の他人を用いるという点で非常に珍しい例であるからだ。
現代のエンタメなどにおいても、一つの言葉を作り出し普及させるというのは一つのアドバンテージを生み出す。もともとは単なる逸話だったものを、その言葉の誕生のきっかけとなったというように抜き出し、その一族に箔をつけようとした意図があったのだろうか。
【参考記事・文献】
仮名草子
https://www.lib.u-tokyo.ac.jp/html/tenjikai/tenjikai98/syosetu/kana_zosi.html
元の木阿弥の由来とは?語源や意味・家康など影武者を使った戦国武将となれる条件なども紹介
https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/86927/
【元の木阿弥】の意味や使い方とは?3つもある語源や類語を押さえておこう
https://domani.shogakukan.co.jp/629749
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(黒蠍けいすけ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 ウィキペディアより引用