箱館の戦いに斃れた「土方歳三」、殺したのは味方だった!?

新撰組において局長近藤勇の右腕とされ、鬼の副長という通称でも知られる土方歳三は、後年戊辰戦争で旧幕軍の指揮を執り戦地を転々としていき、1869年6月20日その最後の戦場であった箱館(現在の「函館」)五稜郭にて戦死した。定説では、一本木石門防衛のために馬上で指揮を執っていたところ、腹部に銃撃を受け落馬し、死亡が確認されたということだ。

土方の最期については、死を覚悟しての戦において、新政府軍に切り込んで壮烈な死を遂げた、あるいは射撃の名手によって撃ち抜かれたと説明されることも多いが、これに異を唱える説が無いわけではない。その説とは、土方は味方によって殺されたのではないかというものである。




箱館戦争において土方は、味方部隊に向けて「前身せよ」「逃げる者は殺す」と命じていたと言われている。後退を禁じたことで部下の反感を買い裏切られて銃撃されたのではないか、と言うわけだ。実は土方の遺体の所在はわかっておらず、現在でもどこに埋められているのか正確な場所が不明であるというのだが、これは味方の裏切り説を補強するものとしても用いられている。それは、土方が撃たれたのは腹ではなく背中であり、その背中の銃撃の痕を知られないように隠されたのではないかというのである。

性格が災いとなって反感を買うという動機は少々稚拙な感じも否めないが、暗殺の動機については上記以外でも別に唱えられている。それは、旧幕軍側の意向として、土方が邪魔であったというものだ。当時5月7日の海戦で旧幕府艦隊の旗艦「回天」が、新政府軍の旗艦「甲鉄」から砲撃を受けて座礁し戦闘不能になってしまった。




壊滅状態となった旧幕軍の敗戦は濃厚となり、このころから逃亡が多くなったと言われ、首脳に至っては敗戦処理を検討し始めていたという。しかし、そんな中で土方の戦いへの気力はあまりにも強く、敗戦処理の妨げとして捉えられたのではないかというのだ。結局、土方が死んで1週間ほどして、新政府軍の軍艦は五稜郭へ艦砲射撃を浴びせたことにより、旧幕軍は新政府軍黒田清隆の勧告により降伏し戊辰戦争は終結した。

土方を撃った実行犯は今もってわかっていない。ある説によれば、ともに旧幕軍の榎本武揚(えのもとたけあき) や大鳥圭介(おおとりけいすけ)に「近い者の内命を含んだ者達」ではないかとも言われている。そのため、複数の人物たちによって土方は撃ち抜かれたとも言われている。

土方の死の真相は、今もって謎に包まれている。

【参考記事・文献】
中村忠司『異聞土方歳三の最期』
箱館戦争
https://rekishi-memo.net/meijijidai/battle_hakodate.html
土方歳三の死因に隠された謎がスゴイ!性格が災いし裏切られて死亡?
https://rekishiru.site/archives/6430

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(黒蠍けいすけ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 ウィキペディアより引用

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