インカ帝国は、13世紀に成立したクスコ王国を前身として、16世紀にスペイン人のコンキスタドール(征服者)によって滅ぼされるまでおよそ200年続いた帝国である。
世界遺産にもなった「マチュ・ピチュ」も有名であり、アンデス地方に栄えたその文明は、アステカ文明やマヤ文明と対比されインカ文明とも呼ばれている。世界的にも知られるこの南米の帝国であるが、なんと日本の縄文人が作り上げたものであるという説が存在しているのだ。
インカ帝国の前身となったクスコ王国は、文献が残っていないためにどのような人々が建国したのかわかっていない。しかしながら、南米に存在していたいくつかの文明の風俗や習慣あるいは遺物などに、縄文と酷似したものが多々見受けられているという。
1965年にバルビディア遺跡から発見された5500年前に作られたとされる土器群が、縄文土器に酷似していたというのは象徴的であろう。この土器は現地の土で作られているため、持ち込まれたものではなく、この土器を作る技術を持った者が実際にこの地に訪れて作ったと考えられている。
また、エクアドルの地下遺跡からは、謎の文字が刻まれた「アンデスの黄金板」という遺物が発見されている。ここに刻まれている文字は、出雲の洞窟の中で発見されたと言われる神代文字「出雲文字」ではないかとも言われている。
そしてインカの創世伝承には、神から名前と名字の順序を反対にするよう指示されたとあり、東南アジア式の苗字・名前の順番となる名乗り法が示されているという。
さらに、関連付けられているのはこれにとどまらない。近年の研究によって興味深いことが次々と判明してきたのである。2013年には、日本などに多い遺伝子型ハプログループと同じ遺伝子を持つ者が南米沿岸部にのみ存在しているという論文が発表された。
また、HTLVという成人T細胞白血病の原因ウイルスについて、日本で多く見られる1型が隣国の韓国や中国からは発見されなかったのに対し、南米アンデスの高地民族の人々が高確率で有していたという事実も明らかになった。これにより、縄文人と南米インディアンのルーツに共通性が強く示唆されるようになったのである。
縄文人が南米へ渡ったとして、いかにして到達したのかという点もいくつかの説がある。真っ先に唱えられたのはユーラシア大陸とアメリカ大陸をつなぐベーリング海峡を経たというものであったが、この説は意外なもので否定されることとなる。
ペルーで発見されたおよそ1000年前のミイラの便から「ビズニ鉤虫(こうちゅう)」という寄生虫が発見されたのだが、この寄生虫は5度以下の環境で生活すると死滅してしまうため、氷で覆われたベーリング海峡を経て渡ってきたという説は誤りと見なされた。現在では、黒潮などの海流を経て海を渡って南米に到達したという航海説が有力であると考えられている。
インカの暮らしを続けるとある村には、「太平洋の彼方からやってきた神が王国を築いた後、いつか必ず戻ってくると言い残し海へ旅立った」という伝説が残っていると言われている。これは、古史古伝によく見られる日本の神々が海外へ散っていき各地で文明を築いたという話にも通じるような内容だ。
伝承については、更なる考証は必要となるであろうが、物質的そして生物的に見ても縄文人とインカ帝国・南米インディアンの関与を結ぶ説は、あながち荒唐無稽とは言えないであろうことは確かだ。
【参考記事・文献】
インカ帝国をつくったのは縄文人の末裔~このトンでも説に、これだけの証拠が残っている。
南米に渡り、プレインカ文明を築いた縄文人
インカ帝国とはどんな国?成立から滅亡理由、皇帝、ミイラとの関係も紹介
https://rekisiru.com/6855
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(ナオキ・コムロ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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