1941年に日本軍が上陸し、1945年から翌年にかけて日本軍と連合国軍との戦地ともなったフィリピン。ここでは、戦後になってある都市伝説が囁かれるようになった。
それは、終戦直前フィリピンに駐在していた日本軍将校によって隠された莫大な財宝が眠っているというものだ。この財宝は「山下財宝」と呼ばれており、現地では発掘チームも結成されるほか、これに関した詐欺やトラブルが現在でも多発しているという。
山下財宝の「山下」とは、1944年にフィリピンを管轄する第14方面軍司令官に就任した陸軍大将山下奉文(ともゆき)のことである。1941年のマレー作戦において指揮をとり、当地に駐在していたイギリス軍を瞬く間に撃破したことから、「マレーの虎」という異名が付けられたことでも知られている。
降伏後、東京裁判にかけられ1946年に絞首刑に処された彼であるが、処刑後、「山下がフィリピンから撤退する際に、自身が隠し持っていた莫大な財宝をどこかに隠した」といういわば都市伝説が広まったのである。
その財宝がいかなるものであったかは諸説あり、日本軍が東南アジア諸国で略奪したもの、日本軍が撃破した連合軍の潜水艦に積み込まれていた金塊、などさまざまである。隠し場所を知っている人物がみな戦死・処刑されてしまった為に、隠し場所がわからなくなってしまったというのだ。
財宝の一部ではないかと考えられているものに、『丸福金貨』がある。片面に大きく「福」一文字があしらわれたシンプルなものであり、時折コイン収集家のオークションへ出品される金貨である。情報分析の高い的確さから「マッカーサー参謀」と称された陸軍軍人堀栄三によると、米軍のインフレ攻撃に対抗するものとして製造された金貨であるという。丸福金貨は、その受取人が山下であったという事情もあり財宝の一部ではないかと推測されるようになったのである。
戦争が終結して以降、この財宝のありかを知る者は誰もいなくなった。そう考えられていたが、実はある一人の日本人が財宝を守り続けていたと言われている。その人物とは、終戦後およそ30年に渡りルバング島のジャングルで身を潜めていた小野田寛郎少尉であり、「上官から財宝の守護を命じられた」人物ではないかと言われている。
彼は、終戦を知らなかったために身を潜め続けていたとされているが、ラジオなどによって日本が敗戦し高度経済成長を迎えていたことまで本当は知っていたという。
一説には、小野田が帰国を決意したのは、財宝の隠し場所を知る者が誰もいなくなったことを確認したからではないかと言われている。しかしながら、彼本人の口から財宝の話が語られることは一度もなかった。
「山下財宝」のありか、存在は今も謎のままである。
【参考記事・文献】
・『実録階段歴史ミステリー シン太平洋戦争の超怖い話 第参号』
・マル福金貨 日本陸軍の奇妙な残留物
https://sengoku-his.com/1949
・丸福金貨とは?フィリピンに眠る隠し財宝の謎と価格推移
https://antique-coin-galleria.com/blogs/times/manchukuo-japanese-gold-fuku
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(ナオキ・コムロ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 ウィキペディアより引用
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