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長崎のグラバー邸に存在する「フリーメイソン門柱」の真相とは?!

トーマス・グラバーはスコットランド出身の商人・貿易商であり、幕末の日本において武器や弾薬の売買をし、倒幕派の後押しをしていたと言われている。

彼は1859年に上海へ渡り、ジャーディン・マセソン商社へと入社する。この商社はアヘン戦争の仕掛け役とも言われており、グラバーはここで商才を発揮したことによって日本の長崎に同社の代理店「グラバー商会」を設立することとなった。

当初は生糸や茶の輸出と石油や木綿等の輸入を行なう貿易商であったが、アメリカの南北戦争が収束に向かうことで武器が売れなくなったことにより、日本で武器を売るために倒幕を影で促し操っていたのではないかと言われている。

グラバーはフリーメイソンであったとも言われている。これは、作家加治将一の著書『石の扉』(2006)に端を発する説とされている。彼はフリーメイソンとして幕末の日本を影で操り、その小間使いとして坂本龍馬を利用していたと言われているのだ。そして、彼がフリーメイソンであることを裏付けるようなものが存在しているというのだ。

長崎市にある「グラバー園」は、長崎開港後に長崎へ来住したグラバーなどの商人たちの旧邸が存在した敷地に、市内に点在していた歴史的建造物を移設した観光施設だ。そしてこのグラバー園には、フリーメイソンのシンボルマークの刻まれた門柱が存在しているのである。

園内のグラバー邸には、幕末の志士をかくまうためであったという隠し部屋も展示されているが、この場所がグラバーと志士の密会の場に利用されており、グラバー邸はフリーメイソンの集会所「ロッジ」の役割を果たしていたとされ、その証として門柱が建てられたのだという説も浮かび上がってくる。




しかし実はこの門柱は、戦後の1971年に全く異なる場所から移設されたものであった。長崎におけるフリーメイソンのロッジは確かに存在していた。1885年に発足したロッジが、その数年後に大浦47番地の建物へ移された際に初めて設置されたのがこの門柱である。1919年に活動を停止したこのロッジは門柱以外が取り壊され、1971年になってグラバー園の整備が始まるとともに移設されたというのが真相である。

また、この門柱が立つ場所というのはグラバー邸ではなく、イギリス商人フレデリック・リンガーの旧邸の横である。つまり、この門柱の存在でグラバーをフリーメイソンと断定するわけにはいかないのだ。グラバーには実際上フリーメイソンである明確な証拠が無く、また門柱が移設された旧邸の住人であったリンガーもフリーメイソンである確固たる証拠は無いのが現状となっている。

ただ、これによってグラバーがフリーメイソンではないとするにも、まだ引っ掛かりが残っている。そもそも、彼が入社したジャーディン・マセソン商社がそもそもフリーメイソンによって作られた組織であると言われており、そうであればグラバーがフリーメイソンと無関係であったとは考えにくい。グラバーは明治維新収束後に商会が破産し、その後は三菱財閥の相談役に携わり、同財閥が躍進する上での大きな支えとなったと言われている。

いずれにせよ、彼の存在が日本の歴史に多大な影響を与えていたことだけは確かである。

【参考記事・文献】
・秘密結社の謎研究会『フリーメイスンの謎と正体』
・グラバー園に移築されたフリーメイソン・ロッジの門柱
https://glover-garden.jp/secret-stories/story-002/
・ジャーディン・マセソン商会の歴史とフリーメイソン~サッスーン財閥との激しい争い!?
https://freem666.com/archives/175.html

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(にぅま 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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