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痕跡が何も残っていない、幻の「ロドス島の巨人像」

ロドス島の巨人像は、紀元前3世紀ごろにエーゲ海南東部のロドス島に建造された巨大な像である。ギリシア神話に登場する太陽神ヘーリオスをかたどったものと言われているが、現在ではその痕跡はおろか、どのような姿の像であったかすら不明となっている。

紀元前300年ごろ、アレクサンドロス3世の死後の後継者争いによってディアドコイ戦争に突入した。この戦争で、マケドニアから攻められていたロドス島が辛くも勝利をおさめ、これを祝うしるしとして巨人像が建設されることとなった。

巨人像は全長34メートル、台座を含めると50メートルで、現在の自由の女神に匹敵する大きさとなっている。記述によると、港の入口付近に高さ15メートルの台座を設置し、その上に彫像を立てたとされている。外装は、敵軍の撤退で置き去りにされた武器や兵器も潰して使用し、完成までに12年ほどかかったと言われている。

しかしその約50年後の紀元前226年、地震によって巨人像は膝から折れて倒壊してしまった。この間800年はそのままにされ観光資源として扱われていたが、のちにイスラム勢力がロドス島に進出した際、偶像崇拝を忌むイスラム教徒の手で完全に撤去されてしまったとされている。倒壊後には再建の話もあがっていたが、神に似せた像を作ったことで怒りを買ったのだと拒否する向きが大きく実現しなかったようである。現在、この巨人像が実在した遺構は何も残ってはいない。




ロドス島の巨人像にはいくつもの謎が残っている。その建造方法についても、下部から分けて完成させていきその都度土を盛り上げて作り上げたと記す書物もあるが、像が存在した時期よりも100年後の資料での記載であるために信憑性が疑わしく、結局のところわかっていない。

また彫像のデザインすら資料として残っていないため、中には港の出入口をまたぐ形で建っていた、仕掛けが施されており不法侵入してきた船を撃退できた、というような誤解や妄言も飛び交った。ただ、このようなイメージは強い印象を人々にもたらしたようであり、自由の女神の台座には「ギリシアのかの真鍮の巨人は荒ぶる両足で海をまたいだという」との一文が記されている。

因みに、巨人像がイスラム教徒の手により撤去されたという記録は、そこから100年ほど経ってからの東ローマの修道士テオファネスによるものである。彼は、イスラム教のムハンマドが癲癇を患っていると主張した初めての人物であるとも言われている。

ひょっとしたら、イスラム教徒の手による巨像の撤去という記録は、イスラム勢力批判のために彼が仕込んだプロパガンダであったのかもしれない。

【参考記事・文献】
・世界七不思議の1つ「ロドスの巨像」の真実。どこの場所にあってなぜ制作されたのか?現在の調査とは
https://mysterya.jp/colossusofrhodes/

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(にぅま 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

Marten van Heemskerck (1498-1574) – http://www.rhodos-welten.de/koloss/koloss.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1508407による