呪術

大魔術師「アレイスター・クロウリー」の唱えたセレマ思想とは?

アレイスター・クロウリーは、イギリスに生まれた世紀の魔術師として知られている。ビートルズも信奉していたほか、彼をモチーフとした作品が現在でも多く存在するほどに影響力を与えている。20世紀最大の悪人、邪悪な黒魔術師など罵倒から称賛に至るまで、現代でも評価が分かれている。

クロウリーは、1875年、ビール醸造業を営む裕福な家庭に生まれた。両親は熱心なキリスト教福音主義一派の信仰者であり、幼い頃から厳格なキリスト教教育を受け、キリスト教系の寄宿学校に入学する。しかし人間関係のトラブルから退学し、この時からキリスト教教育に反発するようになる。

それと同時に、この頃からオカルトに興味を持つようになったと言われている。その後しばらくして父が死去し、この時の父の莫大な遺産が彼のその後の活動資金となっていく。また、彼はケンブリッジ大学卒業の間際に、魔術結社「黄金の夜明け団」に参入しているが、加入時点ですでに対立を引き起こし、彼の行いによって当時すでに不安定であった団内の状況を一層混迷させることとなって脱退した。

クロウリーの生涯を決定づけたのは1904年。結婚した妻とのハネムーンでエジプト・カイロを訪れた際に、妻に憑依した守護天使エイロスという霊的存在と接触し、数日かけてエイロスの託宣を筆記して『法の書』を書き上げた。この時の体験から、彼は「セレマ思想」に深く傾倒することとなった。エイロスとの接触は、のちに様々な魔術による天使や悪魔の召喚を行なう中でも、最も彼に影響を与えた。この後彼は、『法の書』の研究と出版に尽力するため、結社「銀の星(A∴A∴)」を設立することとなる。




しかし、娘の死や妻との離婚が相次いだことで、次第にドラッグや酒を使った性魔術にのめり込むこととなった。この頃にはメディアから「世界で最も邪悪な男」と呼ばれ名指しされるほど悪評にあふれたという。1920年には、シチリア島にセレマの僧院を設立し、信奉者たちと共に求道生活を送っていたが、ドラッグを用いた魔術による死者が出たことで国外追放されてしまう。

フランス、ドイツなどを転々としてやっとの思いでイギリスに帰還するも、活動資金が何度も底をつく中で、晩年は執筆活動をメインとして「トート・タロット」制作やその解説書の上梓も行なった。麻薬中毒に陥り世間からもほとんど忘れ去られた状態のまま1947年に死去した。

彼の取り組んでいたセレマ思想とは、簡単に言うと次の通りだ。人間の意識下での時代区分「劫(ごう)」というのがあり、キリスト教以前をイシスの劫、キリスト教支配の2000年をオシリスの劫、そして次に訪れる時代がホルスの劫であるという。セレマとは、ホルスの劫に向かうための意志、すなわち救世主を求めるのではなく、自らの意志を持って神の域に目覚めることこそ人間の真の在り方であることを説く思想である。

哲学者ニーチェのいう超人、もしくは現在でいう、アセンションに近いものと言えるだろうか。常に賛否の嵐を受けた彼の人生は、波乱そのものであった。魔術の面が特に強調される彼の説き続けたこのセレマ思想は、どれほどの影響を与え、かつ自身がどれほどそれに見合う意志を備えられたのか気になるところだ。

【参考記事・文献】
・ヘイズ中村『決定版西洋の魔術書』
・アレイスター・クロウリーの生涯とは?【最も有名な魔術師】
https://cherish-media.jp/posts/10858
・アレイスター・クロウリー
https://onl.bz/k8S85Gs

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(にぅま 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

ウィキペディアより引用