スピリチュアル

今も昔も英雄だった最強の陰陽師「安倍晴明」の伝説

安倍晴明は、平安時代に活躍した陰陽師である。現在でも、ノベルスや映画などでも多くモデルとして取り扱われており、最もよく知られた陰陽師だ。

伝えによれば、幼い頃から陰陽師の賀茂忠行・保憲(かものただゆき・やすのり)父子から陰陽道や天文道を伝授されていたといわれているが、彼の出生年や幼少時の記録にしての詳細はほとんどわかっていない。

確かな記録としては、948年に大舎人(天皇について雑役をつとめる官人)に就き、960年に天文得業生(天文道を学ぶ学生職)として天皇の占いを任じられたというものが残っている。天文得業生になったのが40歳であったことから、かなり遅れての出世であったことが伺える。しかし、961年には陰陽師に任じられ、971年には天文博士の兼任、978年には陰陽博士として仕えるなど、その才能は充分に認められ発揮されていたことは間違いないだろう。

安倍晴明の代名詞である「陰陽師」という職は本来、中務省の中の役職、いわゆる国家公務員のような存在であった。創作などがそうであるように幻術を操るようなイメージは強いが、実際は「吉凶の占い」「吉日・吉時の上申」が仕事であった。

しかし彼はその後、993年に一条天皇が病に伏した際に祓いを行ない回復させたり、1004年には深刻な干ばつで雨乞いを行ない雨を降らせたり、という驚異的な活躍を見せたのだ。この雨乞いを行なった時点で80歳を超える驚くべき長寿でもあった安倍晴明は、85歳に没するまでその現役を貫いたという。




こうした伝説を残す安倍晴明であるが、やはり気になるのはその幼少時代であろう。実は彼の出生に絡む以下の伝説がある。摂津国(大阪県・兵庫県)に住む安倍保名(あべのやすな)という男がある時、和泉国(大阪府)にある信太の森で狩人に襲われた白狐を助けた。しかし、狩りを邪魔した彼も狩人から攻撃を受けてケガを負ってしまう。

ケガを癒す彼のもとに、ある日「葛の葉(くずのは)」と名乗る若い女性が尋ね世話をするようになり、彼らは後に夫婦となった。この女性が実は助けられた白狐であり、保名との間に誕生した子こそが、安倍晴明だったというものである。つまり、安倍晴明は生まれながらにして人を越えた力を秘めていた存在だったと語るのがこの伝説である。

葛の葉伝説は一説によると、被差別民階級の一つであった声聞師(しょうもじ:陰陽師の文化を源流とした芸能を行なっていた芸能者)たちが、安倍晴明の名声を使って自分たちの商売を広めるために生み出したものであったと考えられている。いずれにしても、安倍晴明がいかに英雄視されていたかが、ここからもうかがい知ることができるだろう。

今も昔も、彼はまさしくヒーローに違いなかったのだ。

【参考記事・文献】
・安倍晴明とは 日本の呪術師史上トップクラスの陰陽師
https://senjp.com/seimei/
・安倍晴明とはどんな人?生涯・年表まとめ【伝説や子孫、死因も紹介】
https://rekisiru.com/11877
・葛の葉伝説と葛の葉の段~安倍晴明誕生の謎
http://fushigi-chikara.jp/sonota/8609/

【アトラスニュース関連記事】

【アトラスラジオ関連動画】

(にぅま 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

Photo credit: iichangm on Visualhunt