出口王仁三郎は、新派神道「大本」を発展に導いた人物であり、明治から昭和初期にかけてあまたに登場した霊能力者・宗教指導者の中でも、最も異彩を放った指導者と言われる。
大本は、金光教の布教者であった出口なおが、神懸かりによって国祖・国之常立神(クニノトコタチノカミ)の神示が降りたことを始まりとする。その出口なおのもとに、霊学会会長の上田喜三郎が訪れ、二人の手により金光教から大本として独立するに至った。
上田喜三郎は、出口なおの娘すみの入り婿となったことで出口に改姓すると同時に「王仁三郎」と改名し、出口なおの死後も大本を先導する重要な指導者となった。新聞社を買収して大本を宣伝するなど、メディア戦略やパフォーマンスにも長けていた。
出口王仁三郎のたぐいまれなるカリスマ性は、合気道の創始者・植芝盛平をも魅了させた。彼は1942年に出口王仁三郎と共にモンゴルへ出国した先で銃撃戦に巻き込まれた際に、敵から放たれた弾丸が見えて避けることができたという逸話を残している。当時の大本には陸海軍の軍人も多く出入りしており、彼らの多くが植芝盛平の門人となっていた。
出口王仁三郎について触れなければならないのは、「三段の雛型思想」と呼ばれるものだろう。これは、「大本で起こることは日本で起こる、日本で起こることは世界で起こる」をテーゼとする予言の一種とされている。
作家の山口敏太郎によると、例えば大本が弾圧を受けた1935年の6年後には真珠湾攻撃が発生し太平洋戦争が勃発、大本の聖地である綾部と亀岡の施設が破壊され1936年の6年後には米軍による本土爆撃が行なわれ、そして第二次大本弾圧事件により被告となっていた出口王仁三郎の無罪が言い渡された1945年の6年後にはサンフランシスコ講和条約が結ばれ連合国と日本との間の戦争状態が終結。ここでは、不思議なことに“6年後”という数字がシンクロしており、単なる偶然や演出として済ませられないものがあると主張する。
出口王仁三郎は、世間的に予言者という点のみで取り上げられることが多く、ノストラダムスのごとく未来のあれこれの出現や出来事を言い当てていたという部分がメインとして扱われがちである。しかし出口王仁三郎の思想の根底には、社会的風潮となっている体主霊従(肉体が主体で霊体がそれに従う)に対する、日本人にある霊性を第一の主軸とする「霊主体従」に立ち返らせる願いがあったという。
晩年には書画、陶芸、詩歌など芸術家としての活動を広く行ない、宗教と芸術の統合も目指していたとされているが、おそらくはその思想の一環をなす活動であったのだろう。一口では語りつくせない、まさしく怪人と呼ぶにふさわしい人物である。
【参考記事】
出口王仁三郎が戦後に語った最終予言
http://fromnewworld.com/archives/1773
出口王仁三郎の予言が当たり過ぎてる!今後の日本はこうなる
https://xn--u9jt50gza675pwgy001a.net/4880.html
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ATLASラジオアーカイブ:預言者・出口王仁三郎の奇跡!三段の雛形思想、大本・日本・世界
(にぅま 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 ウィキペディアより引用