UFO

「私の人生を完全に変えた…」パスカグーラ事件、カルヴィン・パーカー氏死去

1973年10月、UFO史に残る「パスカグーラ事件」が起きた。

同月11日の夜、親戚のチャールズ・ヒクソン氏とともにパスカグーラ近郊のパスカグーラ川の桟橋から釣りをしていたカルヴィン・パーカー氏(当時19歳)は、水面に青い光が反射しているのに気づいたという。

最初は、警察官が敷地から出るよう忠告に来たのだと思ったそう。だが、彼らの前に現れたのは約24メートルほどの、まばゆい光を放つ宇宙船だった。それはラグビーボールのような形で、ホバリングしており、ヒューヒューという音がしていたという。そして2人の前にカニの爪のような手を持つ身長3メートルのエイリアンが現れ、拐われてしまったという。彼らは「大きな目のようなもの」に調べられるなど奇妙な実験を受けたりした後、川岸に戻されたという。

二人は警察当局に事件の一部始終を報告し、彼らの体験は世界的なニュースになった。だが、この話が世間に広まるにつれ、人生は変わったという。

2011年に80歳で亡くなった叔父のヒクソン氏は、パスカグーラ事件について公の場でコメントすることも多かったが、まだ若かったパーカー氏は世間の注目の的になることを避けていた。時には仕事を変え、他の町に移ったこともあったという。

事件から数十年が経過した2018年、パーカー氏は妻のウェイネットの勧めもあり、またパスカグーラ事件について正しくない情報も出回っていたことから、改めて自身の体験について語った書籍本『Pascagoula – The Closest Encounter』を出版した。この本についてパーカー氏は地元のClarion Ledger紙に次のように語っている。

「誰でも時間には限りがあるし、死ぬ前にこのことを公表したかった。死にかけた経験もあるし、私の体調も悪い。ただ、今この事を話しておかなくてはと思ったんだ」

彼の書籍をきっかけに、彼と同じ日に空に浮かぶ「説明のつかない物体」を見たと名乗り出る者も何人も現れた。パーカー氏と同様に多くの人が世間の嘲笑を恐れて誰にも自分の見聞きしたことを話さずにいたのだという。




パスカグーラ事件の再燃は、事件が起きたパスカグーラ市でも好意的に受け止められた。パスカグーラ川沿いには歴史的なUFO事件を記念したモニュメントが設置され、毎年10月にエイリアン・フェスティバルを開催して事件を祝っている。

そんなパーカー氏は、2021年になって衝撃的な告白をした。彼はアブダクションされた後、エイリアンに奇妙な実験を行われただけでなく、様々な「未来に起きる出来事」を告げられていたのだという。この体験談はこれまで明らかにはされてこなかったが、約半世紀の時を超えて「アブダクションの際にエイリアンに告げられた未来の出来事」が次々と現実のものとなっている事が解ったため、メディアで告白することにしたのだという。

パーカー氏はザ・サン紙のインタビューで、以下のように答えている。

「私は宇宙船に乗っているときに私の血液を抜かれました。その後、まだ知らないものに置き換えられたようでした。そして、過去、現在、未来に起きることを見せられました」

彼によれば、見せられたビジョンの中には世界中で猛威を奮っている新型コロナウイルスの蔓延もあったという。

中でも驚くべき「未来のビジョン」は、第三次世界大戦に関するものだった。彼はまだロシアがウクライナに軍事侵攻する前に、「大規模な戦争が起こる」という映像をエイリアンに見せられていたのである。だが、「大きな過ちを犯した」事に気づいた人類は徐々に立ち直る道を選んでいった、ともパーカー氏は語っていた。

そんなカルヴィン・パーカー氏は先日、8月24日に64歳で亡くなった。彼は亡くなる前の昨年11月7日、地元のクラリオン・レジャー紙の取材に次のように答えている。

「あの事件は私の人生を完全に変えました。人生に起こることで、自分ではどうすることもできないこともある。アノ時私がもう少し年をとっていれば、もっとうまく対処できたかもしれないが、そうではなかった。しかし今にして思えば、ある意味あの事件のおかげで自分の人生はより良いものになった。今となっては、あの出来事があってよかったと思っている」

(飯山俊樹 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)