森の中に住み、大きな鍋で薬草やキノコを煮て薬品を作っている……絵本の中では魔女のイメージを合わせるとこのようになるだろうか。19世紀から20世紀にかけて、本当に毒薬を作って人々に渡して多くの人を殺害していた「魔女」が実在していたと知ったら、あなたは驚くだろうか。
ババ・アヌイカ、本名アナ・ディ・ピシュトンヤはユーゴスラビアのウラジミロヴァツ村に住んでいた老年の女性だった。彼女は薬学や本草学に長けた女性であり、医療技術も医薬品も乏しかった当時では数少ない治療師として村の人々に慕われていた。だが、その裏で彼女は毒薬を処方し、多くの人々を死に追いやっていたのだ。
ババ・アヌイカは1838年にルーマニアで裕福な牧畜民の子として生まれ(本人は1836年生まれだと主張していた)、1849年頃にオーストリア帝国バナト軍事辺境州のウラジミロヴァツに移住してきたとされている。彼女は若いうちにオーストリアの若い軍人に誘惑されたが、別れた際に病気をうつされたこともあって20歳で隠遁生活を送るようになったという。
後に年上の男性と結婚し、11人の子を授かったが、成人まで育ったのは一人だけだった。その後、夫に先立たれた彼女は若い頃から興味を抱いていた医学や薬学の研究に没頭するようになる。自宅に実験室を作り、独自で医薬品を調合して村の人々に提供するようになったのだ。彼女の医薬品の効き目は確かだったようで、生活に困らないだけの収入を得られていた。
そんな彼女の薬の中で最も恐ろしく、しかし多くの人が求めたのは「魔法の水」や「媚薬」と呼ばれていた薬品だった。この薬には少量のヒ素と検出が困難な特定の植物毒素が含まれており、村の女性達が買い求めていた。中でも「暴力的な夫」や結婚生活に問題を抱える女性が買い求めていたようで、彼女らの話しを聞いたアヌイカは「その問題はどれくらい重い?」と訊ねる。この質問は暗に「毒を盛る相手の体重」を確認するものだった。また、村の中にはアヌイカに話を繋げるための窓口役の女性もいたようだ。
とはいえ、それほど大きくない村で死者が多数出れば当局も動き始める。1914年に彼女は毒を提供し、殺人に加担した罪で裁判を受けるも、この時はなんと無罪を勝ち取った。しかし1928年5月15日に村の女性たちと逮捕された際は有罪となり、懲役15年の判決を受けた。アヌイカと共に裁判を受けた女性の中には、アヌイカの薬は単なる水であり、夫らが亡くなったのは彼女の魔法が効いたからだと信じ込んでいた者もいたそう。ちなみに裁判でアヌイカ本人は薬品を売った事を否認したり、不服申し立てを行っていた。
彼女は2件の殺人に関与した事で有罪となったが、彼女の被害者は少なくて50人、中には150人にも及ぶという説もある。彼女が毒を売っていた動機については明らかにされていない。金銭的な利益を得る目的だったとか、はたまた完全な善意だったという説もあるが、真相は藪の中だ。
ちなみに彼女は裁判を受けた時点で90歳だった。非常に高齢だった彼女は8年間服役した後に釈放、1938年9月1日に100歳で亡くなっている。
(勝木孝幸 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 ウィキペディアより引用
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