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【日本三大怨霊】崇徳上皇、相次ぐ皇族の不幸、戦乱、天災…牙を剥いた祟り

『【日本三大怨霊】魔界に落ちて日本に呪いをかけた!白峰魔王の誕生』より続く

「我は、この国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」

魔物になって天皇家の地位を貶めてやると宣言した崇徳上皇は1164年に讃岐で崩御する。

だが、その後に様々な不幸や動乱が起こるようになる。

1176年に後白河上皇の妃である建春門院や近衛天皇の妹・高松院、藤原忠通の養女・九条院などが次々と死亡する。崇徳上皇や藤原頼長と因縁があった人物の近親者たちが死んでいったことで、崇徳上皇や頼長による呪いではないかとする、話が囁かれるようになる。




さらに、その翌年1177年には平氏の失墜を狙った鹿ヶ谷の陰謀事件と京の3分の1を焼いた安元の大火が起き、京都が混乱状態となる。

だが呪いはまだ終わらない。京都だけで4万人以上の死者を出した養和の飢饉、妖星の出現、木曾義仲と源頼朝による地方での反乱、源平合戦、鎌倉幕府の成立…これら全ての動乱は崇徳上皇の祟りだと民衆は噂したのだ。

これらの一連の動乱は、京都で治世を揺るがす事変や天災が立て続けに起き、それに端を発した大混乱がおき、その中で武士が台頭していく歴史でもある。

つまり、崇徳上皇が願った通り、それまで天皇が握っていた支配権力が失墜し、武士の手に渡って行くことになったのだ。朝廷は崇徳上皇の霊を慰撫する為に「崇徳院」の院号を送ったが、怪異はやまなかった。

「太平記」には、愛宕山で背中に大きな翼を生やし、異形の姿となった崇徳上皇が目撃されたと記録されている。

魔界の王となった崇徳上皇は、同じく天狗に身を落とした淳仁天皇や後鳥羽上皇らと共に大乱をおこす事を画策していたという。そのため、一部の作品では天狗として崇徳上皇を表現しているものも存在している。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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