妖怪・幽霊

激写!!防空頭巾の少女の霊!?





頭巾の霊の話

今から八年程前、私が学生の時の実体験である。夏休みの間に実家が茅ヶ崎市の香川の方に越して二、三か月くらい経ち、地元の生活にようやく慣れ始めた頃の出来事であった。

夜起きている時間帯で居間の照明は点いていたが、台所は少しだけ薄暗かった。冷蔵庫を開け閉めした瞬間に、ふと右手の側に黒い頭巾を被った背の低い人間のような姿が現れたのが一瞬だけ見えたのである。

当時の私は、とうとう死神が目の前に現れてしまったと思っていた。自分か家族の誰かが死んでしまうのではという不安が頭をよぎったが、疲れによる目の錯覚だとすぐに思い直し気にしないようにしていた。

その数日後の休日に母親と午前中に近所を散歩していた。その日いつもは通らない道を二人で少しだけ探検したくなった。そうしたら、地元で有名なレストランのすぐ近くに地下壕を発見した。そのレストランは防空壕だった場所をそのまま酒蔵庫として利用しているのを売りとしているが、他の地下壕も空襲の避難場所に使われていたのであろうか。

私はその時、地下壕を見た瞬間にピンと来たのである。私の前に現れた頭巾を被った人の正体は、空襲か何かで戦争の犠牲になった子供だったのではないだろうかと。一瞬しか見ていないが、恐らく下にもんぺみたいなのを履いていたような気がしたので女の子だったのだろう。

戦争の犠牲になった少女が私の前に姿を現し、その痕跡として残っている地下壕にわざわざ誘導してきたように思えてならなかったのである。少女はあの地下壕で亡くなったのであろうか。それとも空襲がない時に子供の秘密基地や遊び場にされていたなど、少女にとって地下壕が思い入れの強い場所であったのだろうか。




八年ぶりにご対面!?

それから八年後の夏、ふと思い出したかのようにまた母親と地下壕を見に行ってみた。以前よりも緑が茂っていたが地下壕はまだ残っていた。酒蔵工場の敷地内にあるその地下壕はそのまま放置されていたようである。

かつて日本軍はアメリカ軍の「コロネット作戦」に対抗して「本土決戦作戦」を決行するため、あちこちに陣地を造っていた。茅ヶ崎市香川にも造ろうとしたが、途中で海岸沿いの方に作戦が移されそのまま放置されたようだ。あの地下壕も陣地跡だった可能性がある。

そこで写真を撮ってみた。地下壕は三つあったがその一番右側の壕だけ、入れないように塞がれていた。その柵の隙間から少女のような顔がうっすらと覗いているのが写ってしまった。彼女は八年前に現れた防空頭巾の少女なのだろうか。よりによって盆の入りの日だったからか、このような形でご対面をしてしまったのであろうか。






防空頭巾の少女は戦争の悲惨さや苦しさを私に伝えて欲しかったのだろうか。それとも寂しくて構って欲しかったのであろうか。彼女が未だに痛がったり苦しんだりしていなければ幸いである。

茅ヶ崎では空襲で亡くなった人々が十数人はいたようだが、全て記録しきれていないためもっといた可能性がある。もちろん空襲だけに限らず、栄養失調や病気などで亡くなった方達もいたことだろう。いずれにせよ、戦争が悲惨である事実はずっと消えない。

(ふりーらいたー:古都奈 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)

画像©古都奈 撮影2018年8月13日

参考サイト

excite blog 市内にある戦争の痕跡(9種)collection185

関東戦争遺跡調査研究軍 祐実軍團 War-Sites Data Base 神奈川県茅ケ崎市の戦争遺跡一覧

タウンニュース 茅ヶ崎版 戦後70年記憶継承の願い込め 市内でイベントや企画展