祟り





先ず、日本の三大怪談を簡単に紹介しよう。

【番町皿屋敷】「大事な十枚の皿のうち一枚をお菊が割ったことにされてしまい、陥れられたお菊は井戸に身を投げてしまう。その後、お菊の怨念により恐ろしい祟りが起こる。」

【牡丹燈篭】「お露と新三郎が互いに一目惚れし、お露は新三郎を思い詰めるあまり恋煩いで死んでしまう。
 しかし、死んだと聞かされていたお露と乳母が下駄の足音を響かせながら牡丹模様の灯篭を持って新三郎のもとに表れたので、新三郎は疑うよりも嬉しさのあまり招き入れたが、或る日、新三郎に死相が出ていることでお露は亡霊であることが分かり、お露の亡霊による様々な怪異が起こる。」

【四谷怪談】「夫の裏切りによってお岩は毒を盛られ、最後には置いてあった刀が首に刺さり死んでしまう。その後、お岩の怨念により恐ろしい祟りが起こる。」




 四谷怪談は元禄時代に起きたとされる事件を題材にして作られた怪談であるが、滝沢馬琴によって描かれた「勧善常世物語」という読本も同じ事件を題材にして創作されたと言われている。
 そして、滝沢馬琴に影響を与えたとされる上田秋成によって創作された怪異小説集である読本の雨月物語の一節に「吉備津の釜」という物語がある。
 物語の内容は、「吉備津の釜占いで結婚は凶と出たにも関わらず結婚した夫婦が、夫の裏切りによって妻が死んでしまい、それから怪異が起こり、吉備津の釜占いが当たってしまった。」という内容なので、この物語も四谷怪談に似ていると言えるだろう。

 吉備津の釜占いとは、温羅という鬼が吉備津彦に退治され、切り落とされた温羅の生首が吉凶を告げるようになったという岡山県の吉備津に伝わる伝承から派生した、釜を使用した占いであり、この伝承は桃太郎などの鬼退治物語のベースになっており、温羅の怨念ほど恐ろしいものはないと伝えられているようだ。

 四谷怪談を表現して祟りが起こったとはよく聞く話であるが、祟りの原因や、いつ頃から四谷怪談による祟りが起こるようになったのか分かられていないが、流れをたどれば四谷怪談によって引き起こされる祟りは、温羅という鬼の怨念が原因ではなかろうか?




 その他にも、恐ろしい怨念として日本で語り継がれている【崇徳上皇の祟り】がある。

 激しい後継者争いの末、島根県の隠岐之島に流刑となってしまった崇徳上皇は、後継者争いをした弟である後白河法皇に経典を書いて送ったところ破り返されてしまったので、自らの舌を噛み切った血で破り返された経典に、「この経典の力を持って天皇家を永遠に呪う」といった内容の呪いをかけて自らを日本国の大魔王と称し、爪や髪を伸ばし続け夜叉のような姿になって死んだ(諸説あり)。
 その後、京都で大火事が起こり、後白河法皇の身内が次々と謎の病によって亡くなってしまったことから、崇徳上皇の祟りとして恐れられた。

 近年では、東京都の大手町に鎮座する【平将門の首塚】の祟りが有名である。

 関東大震災により大手町が大きな被害を受けたので、将門の首塚を取り壊して大蔵省が建設されたが、大蔵省の役人に病人が続出し、大蔵大臣をはじめとする幹部14人が相次いで亡くなると、将門の怨霊の噂がたちまちのうちに広まり、事態を重くみた大蔵省は、建設されたばかりの庁舎の一部を取り壊して将門の首塚を復活させた。
 また、雷による火災で大蔵省の庁舎が全焼した時は、将門の首塚を粗末に扱っているからではないのか?という声があがり、大蔵省の企画によって将門の首塚に保存碑が建立された。

米軍が将門塚の周辺を駐車場にするため、将門塚の撤去を計画して工事が開始された時は、作業中のブルドーザーが突然ひっくり返り死人が出たので、地元住民がマッカーサー司令部に出向き将門の怨霊の話をして塚の撤去は中止されている。

 国家の政策により、将門の首塚のごく一部だけを残して土地を金融機関に売却することになり、将門の首塚の参道に日本長期信用銀行(長銀)が建設された。
 ところが、将門塚に面した部屋の長銀の行員に病人が続出し、またしても将門の怨霊の噂が広まったので、将門鎮魂碑が建立され、神田明神の宮司が祭主となり盛大な将門鎮魂祭が行われた。

 将門鎮魂碑には、時宗の僧である他阿上人が将門の怨念を鎮めたと伝えられる供養塔から拓本された「蓮阿弥陀仏」と彫られている。お祓いの後、行員の病気は収まったが、平成12年に長銀は破綻した。

※他阿上人 念仏札と踊り念仏を広めた時宗の開祖である一遍上人の弟子、遊行2世他阿上人
※蓮阿弥陀仏 他阿上人が将門に贈った諡号(しごう)
※諡号(生前の行いを尊んで贈る名前)

 また、最近まで隣接していたビルでは、将門の首塚を見下ろすことがないように窓を設けない作りにし、尻を向けないような机の配置にするなど、将門の首塚に失礼のないよう工夫されていた。
 現在、将門の首塚に隣接している土地では建設工事が行われており、筆者は調査に訪れた際、興味深いことに気が付いたのである。




 将門鎮魂碑には、時宗の僧である他阿上人が将門に贈った諡号が彫ってあるが、時宗の宗紋は漢数字の「三」が中央に描かれた「隅切り三」と呼ばれる宗門である。

 建設工事に関わっている企業は三井物産や三井不動産である。そして、建設工事が始まる前に将門の首塚に隣接していた建物は三菱系や三井系だったそうだ。

 みなさんもお気付きになられただろうか?

 将門の首塚に隣接できている建物には、漢数字の「三」が付いているのだ。つまり、漢数字の「三」には将門の祟りを鎮める効果があると言えるのではないだろうか?

※参考 天皇寺縁起 将門塚縁起 遊行寺縁起 真光寺縁起

(前世滝沢馬琴 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)

画像©前世滝沢馬琴




 

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