皆さんは「袖引き小僧」という妖怪をご存じでしょうか。
埼玉県の妖怪で、夜道などで人間の袖を引くいたづらをするかわいい奴です。しかし、何故この妖怪が出るのか。何故袖を引くのか、定かな事は不明です。資料名は失念してしまいましたが、こんな話を聞いた事があります。
「貧しいながらも、夫婦が共に夜遅くまで働く家庭がありました。夫婦には子供が一人おり、大変かわいがられていました。ある夜、両親の帰りを待ちわびた子供は夫婦の帰り道のお地蔵さんの陰に隠れて待っていました。そして、両親が地蔵の近くに来た途端に、飛び出したのです。しかし、両親は子供がそんなところにいるとは思いません。てっきり最近評判の盗賊だと思った父親は、直ぐさま殴りつけてしまったのです。そのため子供は死亡し、魂が妖怪となり、道行く人の袖を引くようになったのです」
この話を読んだ時、余りによくできているので創作だなと思ったのですが、なかなかツボを押さえた妖怪談なので大変気に入りました。つまり、琴線に触れるというやつです(笑)こういう話を聞くと妖怪好きとしては、思わずにんまりとしてしまいますね。妖怪の持つ悲劇性、そして哀愁を見事に表現しているじゃないですか。とかく、妖怪「袖引き小僧」には寂しげな影がつきまとうのです。
全国的に見ても「○○小僧」「○○坊主」というネーミングの妖怪には子供の悲劇がつきまとうようです。例えば「算盤坊主(そろばんぼうず)」とは算盤の計算を間違えた事を苦に命をたった坊主が死んだあと妖怪となったものです。また「茶碗児(ちゃわんちご)」も寺宝の茶碗を割ったという無実の罪をきせられて、自害した稚児の怨霊が妖怪化したものと言われています。
さて、何故この妖怪は「袖」を引くのでしょうか。それは日本人にとってそれだけ「袖」が大切なものであったからではないでしょうか。「袖ふれあうのも他生の縁」「無い袖は振れない」「袖にする」など「袖」という言葉は、多くの比喩表現に使用されています。言い替えれば「袖」とは日本人にとって重大な意味をもっている可能性があるのではないでしょうか。
例えば各地の伝説を見ていると、袖にまつわる奇妙な話がいくつかあります。前方から人魂が飛んできたので片方の袖で受け止めて、片方の袖で投げ返したとか、「袖もぎ様」という神様の前を通る時には「袖」を供えないと袖をもぎとられてしまうとか、「袖とり松」に挑んだ者は袖どころか、命さえもとられています。このように「袖」には生命・心という意味合いもあるかもしれません。
また民俗学の一部研究者は、女性が「袖をふる仕草」に恋愛の意味を見い出しています。それが現在の独身女性がきる「振り袖」につながっているのかもしれません。またそのような「晴れ着」を刃物できる「切り裂き魔」が毎年出没しますが、これなんぞも現代特有の「袖きり小僧」という妖怪とも言えるでしょう(笑)。
このように、私達日本人の生活には「袖」というものが重要な意味をもってからんでいるのです。あなたの袖は誰にふりますか。誰から振られた事がありますか。その「振り袖」を「留め袖」にする時、それは「愛の契約」なのです。
(山口敏太郎事務所 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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