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「メザシの土光さん」節約伝説!東芝再建は土光敏夫に学べ!!

2009年から6年に渡り粉飾決算を続けてきた東芝、買収した子会社の多額の負債もあって経営危機が叫ばれている。外部から会長に元三井住友銀行副頭取の車谷暢昭氏を招き再建に入る。再生へのヒントは、60年代の東芝の経営危機を乗り切った土光敏夫の生き様にある。

1965年に東芝の社長に就任した土光は東芝の企業風土改革に乗り出した。社長室にあったシャワー室を壊し、社長室専属のコックを廃止した。

またエリート意識が高く、「東芝の製品を買わない消費者が悪い」という奢った考え方を改めさせた。「知恵を出せ、知恵がない者は汗をかけ、それも出来ない者は去れ」という精神で土光は企業経営をした。




「メザシの土光さん」というあだ名はNHKの取材時にカメラに映った食事風景からつけられたが、このメザシを食べるというキャラはテレビの演出もあったとされている。 しかし、このイメージは強く残り、度々彼の信奉者たちからメザシをもらった。

彼に関する節約伝説は他にも数々ある。来客用エレベーターのみを稼働させ、自ら率先して階段で移動したり、夜の会合を廃止し、健康的な早朝ミーティングに切り替えたり、朝4時半に起き、30分読経をしてから7時には出勤したという。夕方は早く帰り読書を行い自己研鑽に努めた。また、各社の経営者がやっていた泊りがけの地方出張を嫌い、日帰り出張を心がけた。地方での接待を決して受けなかった。

私生活でも節約精神は貫かれ、床屋に行かず息子に散髪をしてもらった。つぎはぎだらけの帽子をかぶり、戦前から使うボロボロのコップで毎朝歯を磨いた。社長や会長になってもバス通勤で会社に通った。農作業用のズボンは使い古しのネクタイのベルトでしめられていた。

現代人にここまでやれとは言わない。だが、東芝の再建は土光精神への回帰が大きなヒントになるだろう。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像『経営の行動指針